日本の教育 [教育]
結局のところ、日本の教育現場では「勉強方法」について教えてこなかったと思うのです。
例えばノートの取り方、記憶の仕方、本の読み方、メモの取り方、ものの考え方。
あるいは、「考える」とはどういうことなのかを学校の先生から教わってきたかーほとんどないですよね。「君たち、自分の頭で考えろ」とは言いますよ。
“司法試験流” 知的生産術
伊藤 真 (その他), 野田 稔 (その他)
NHK出版 (2012/1/25)
P10
“司法試験流” 知的生産術 2012年2月 (仕事学のすすめ)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/01/25
- メディア: ムック
1881年、フランスは世界に先駆けて無償・義務・一般普及を目的とした教育制度をはじめたが、フランスに続いたのは日本だった(1886年)。
一度も植民地になったことがない日本
デュラン れい子 (著)
講談社 (2007/7/20)
P113
P130
戦後の教育は、ことごとくここに書かれている姿勢(住人注;フランシスコの「平和の祈り」)とは反対であった。
「憎しみのあるところには裁きを、
疑惑のあるところには、徹底追及を、
誤っているところには謝罪を、
闇や悲しみをもたらす政治には拒否を」
であった。自分がその解決に、まず一枚噛むという姿勢ではない。しかも解決はいつも他人がしてくれるべきものであった。
「悲しみがあれば慰めが用意されるべきで、
理解されないときはあくまで理解を要求し、
愛したりすれば損をするから愛されることを求め、
受けるのは当然の権利で、国民が与えることを国家は期待すべきではない。
こちらが許すのは、相手が許してくださいと言った時だけだ」だったのである。
フランシスコの「平和の祈り」と、たえず相手を糾弾する姿勢をたたき込んだ戦後の平和教育と、どちらが和をもたらすのに有効か、時々考えるべきだろう。
P138
性格も才能も平等ではない。運命も公平ではない。しかしその偏った才能の使い道や、幸福を感じる能力は、それとはまったく別の機能で動いており、比べようがない。
戦後の教育は、平等であり公平であることが、可能であるかのように教えて来た。そしてその原則が守られない場合には、社会が病んでいて、どこかに「悪い奴」がいるのだ、というような教え方をして来た。
しかしこんな単純な理由づけは、もし大人たちが人並みな眼力で世間を見ていたらとうてい通らないようなものだ。
人生の原則
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
若者は自分を不幸だと思っている。様々なもっともらしい理想を吹き込まれた挙句、いざ現実に直面すると、決まって理想から程遠いものであって、心は傷つくばかりなのだ。
~中略~
これまで読んだ本も聞いた話も、すべて粉飾されたものだったと、若者は自力で発見しなければならない。
人生の十字架に磔になっているとも言える若者の体は、その発見の度ごとに釘を一本、また一本と打ち込まれていくことになる。
(人間の絆」二十九章、一九一五年)
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P20
P72
小中学時代の教育は、何を本体として何を付属とするか。言うまでもなく、人間の徳性や良習慣、即ち「躾」が本体です。
人間の徳性や良い躾をするということが、これが教育の根本で、知識や技術はそのつけたりでよいのです。
そして、大体十六~七で人間ができ上がって、それからあと専門学校・大学へ行く。ここでは、今までにできた性格的・人格的基礎の上に知識や技術を本筋にして教えてよろしいのです。
そしてなお小学校時代から、あるいはその前の家庭から養われたところの道徳、宗教、芸術などを随意これに配していくべきです。これが学校教育体系の正しいあり方であります。
日本は、これを不幸にして明治以来、誤ったのであります。ここに日本の教育的悲劇があります。
P74
さすがに明治初年の教育家や学者・役人の中には心得の深い人がありまして、小中学教育には「尋常」という名を与え、日本の教育を尋常教育と専門教育に分けました。
「尋常」という意味は文字通り「常を尋ねる」という意味なのです。「平常心これ道」と言いまして、人間はいかなることがあっても平常と変わらぬ、平常からちゃんと覚悟ができておることがたいせつです。
真の人間の道は、時の古今、所の東西を通じて相悖(あいもと)らない。この「常を養う」のが尋常教育であります。
即ち人格を鍛錬陶冶(とうや)して、その上に知識・技術をつける。この知識・技術を主体とするところが専門学校 、この専門教育と尋常教育に分けて、尋常教育を小学校と中学校にしたわけです。
安岡正篤
運命を開く―人間学講話
プレジデント社 (1986/11)
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