幕府という政体 [雑学]
「水師提督(クーパーのこと)の申されることはよくわかった。しかしわが藩がおこなった攘夷(住人注;下関戦争
)はわが藩の意志でおこなったものではない。朝廷と幕府の命令でおこなったのだ。
わが藩は単に鉄砲に過ぎない。射手は幕府である。その三百万ドルは、幕府が支払うべきものである。
晋作がいうことに一理あることは、日本政府の政情にあかるいサトーにはわかっている。
~中略~
しかも、(住人注;サトーが晋作を評して)魔王らは用意のいいことに、朝廷と幕府の攘夷命令書をちゃんともってきていて副使の渡辺という者がそれを卓上に置いた。
「よかろう、償金の件は幕府に交渉する」
と、クーパーがあっさりいったのは、幕府なら取はぐれがないとみたのである。
幕府はこれをいやとは言えないということは、英国人たちはよく知っていた。この日本国の政府というのは奇妙な体制で、じつは徳川家という「家」なのである。
徳川将軍は中国やヨーロッパのような皇帝ではないということは、サトーの洞察によって英国だけはそう解釈をしていた(これとは逆にフランスはあくまでも徳川将軍をその崩壊まで皇帝と見ており、この政体解釈の差が、対日外交における英国の勝利―フランスに対して―をもたらした。
~中略~
「それは長州藩がやったことで、幕府にはなんの責任もない」 といってしまえば、長州藩は独立国家であることになり、またその解釈をひろげれば三百諸侯はみな独立国家であるということになって、幕府は日本唯一の正式政権であるという大きな建前がくずれてしまう。
世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)
P217
唐戸市場
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