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視点 [ものの見方、考え方]

現像のできた写真をならべてみてじっくりと見たが、よく写っている。病気前に撮ったものと比べてみて見劣りしない出来である。ところが何かがちがうのである。
写真を睨みながら、何度も何度もねらった対象の姿をゆっくりと思い返してみた。
そしてやっと合点がいった。ぼくがこの建築を撮ろうと考えて見上げたのは車椅子の上からであり、助手の構えたアングルは病気前のぼくが立った眼の高さだったのである。

約五十センチの差がぼくをいらいらさせていたのであった。車椅子がぼくの足になってこのかた、知らず知らずのうちに僕の視点は低くなり、車椅子から見る視線が身についてしまっていたのである。
理屈では解決のつかないことであるが、かっては僕が唯一絶対であると信じていた視点が、いつのまにか五十センチ下がって、今の僕の視点として落ち着いているわけである。

古寺を訪ねて―東へ西へ
土門 拳 (著)
小学館 (2002/02)
P188

TS3E0344 (Small).JPG到津の森公園

~中略~
話が脇道にそれたが、さて視点とは無数無限にあるものだとはいうものの、これだと決められる視点は一人に一点しかありえない。その一点とは、ある人は美意識に裏打ちされたものであるといい、またある人は思想に支えられるべきものだというかもしれないが、ぼくはそれは言葉の綾であると思う。
車椅子から見るようになって、ぼくの視点は低くなったが、決して美意識や思想が変わったとは思わない。 ぼくにとって視点とは生活からにじみでる、理屈抜きの感覚的なものなのである。
 ぼくの中に、ぼくの見る位置は厳然としてある。しかしながら写真家たるぼくは、ただ見るだけではすまされない。写真を撮るに当たって、被写体も撮られる視点をもっていると思うのである。それは人物の場合はもちろんのことであるが、仏像も建築も自分の写される視点をもっているのだとぼくは考えている。
ぼくは被写体の対峙し、ぼくの視点から相手を睨みつけ、そしてときには語りかけながら被写体がぼくを睨みつけてくる視点をさぐる。そして火花が散るというか、二つの視点がぶつかったときがシャッターチャンスである。パシャリとシャッターを切り、その視点をたぐり寄せながら前へ前へとシャッターを切って迫っていくわけである。

 

古寺を訪ねて―東へ西へ (小学館文庫)

古寺を訪ねて―東へ西へ (小学館文庫)

  • 作者: 土門 拳
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2002/02/01
  • メディア: 文庫

 

 

この書の中には東日本の老人については高木誠一郎のことを書いただけでふれていない。つまり、中部および西日本の社会を背景にした年寄りたちの姿である。
 これは今の日本の学問では日本の首府が東京にあり、また多くの学者が東京に集うており、物を見るにも東京を中心にして見たがり、地方を頭に描く場合にも中部から東の日本の姿が基準になっている。
たとえば姑の嫁いじめが戦後大変問題にされた。たしかに問題にしなければならないのだが、それは家父長制のつよいところにあらわれる。一方嫁の姑いじめはそれ以上に多いと思われるが、この方は大して問題にならないのである。姑がマスコミに訴える方法と力を持っていないからであろう。
婚姻の問題にしても、明治中期以前親の言いなりに結婚したのと自分の意志の力で結婚をきめた娘の割合はどうであっただろうか。後者の例は西日本では前者より多かったのではなかろうか。
 一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切っていけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要でないかと思う。

忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P305

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1984/05/16
  • メディア: 文庫

 

 

よく思うのです。事実はひとつしかありません。事実はひとつしかないけれど、その事実をどう見るか、どう読むのかについては幾通りもの視点があります。
その視点は、それぞれに大事にされるべきだと思います。のちに正しかったとか、まちがっていたとか明らかになるにしても、「その見方があった」というのは、これまた事実であるからです。
善意とか悪意とか、誠実であったか冗談として語られていたかについても、問われる必要はありません。とにかく、その視点があったということは消せない事実であります。
もうひとつのあとがき
糸井 重里

知ろうとすること。
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
新潮社 (2014/9/27)
P174

 

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

  • 作者: 早野 龍五
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/27
  • メディア: 文庫

 

 

P193
 わたしたちが特定の視点から世界を見ていること自体は問題ではない。というのも、鰌(どじょう)や鳥や鹿にもそれなりの視点があるからだ。問題なのは、自分の視点が普遍的だと思い込み、心を閉ざしてしまうことだ。わたしたちは厳密な区別をもうけ、あまりに確固とした分類や価値観をつくってしまう。

P198
 「荘子」のすべての寓話や逸話は、しばりがある単独の人間の視点から解放されるとはどういうことかを考えるためにある。たとえでいえば、蝶や鳥や虎として世界を見るということだ。
もっと直接的には、ほかの人の視点から世界を理解するということだ。きみが女性なら、男性の目で世界を見た場合を想像してみる。あるいは、若い人なら、老人の視点から世界を見てみる。 ~中略~
あらゆる視点がもつ可能性に心をひらくことで、可能なかぎり広々とした場所から宇宙全体を眺められるようになる。それが、終わりのない<物化>を理解し始める方法だ。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)



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