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過去にしばられる必要はない [ものの見方、考え方]

  アドラーはトラウマは必ずしもトラウマである必要はない、と考えています(「人生の意味の心理学」一五頁)。
アドラーはいかなる経験もそれ自身では成功の、あるいは失敗の原因ではなく経験からショックを受けることもない、私たちは経験によって決定されるのではなく経験に与えた意味によって自分を決めるのである、といっています。
 ですからある経験をトラウマであると見なせばその経験がトラウマになるというにすぎないのです。
ある経験によって人が必ず同じ影響を受けるのであれば、それ以外のあり方をとりえないのであれば、今とは違うあり方へと導くことである教育、育児、治療はそもそも不可能であるといわざるを得ません。

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P140 

DSC_6366 (Small).JPGミョウガ

P141
原因論に立たないアドラー心理学の立場では、何かの出来事があって、それを体験するということが原因となって人が問題を起こすとは考えません。むしろそれまで隠されていたライフスタイルが、何らかの体験、たとえば、学校に入ることによって明らかになるというふうに考えるのです。
 また、思春期について、思春期が子どもを変えるのではなく、思春期は過去に形成された性格を明らかにする「新しい状況」である、とアドラーはいっています(「子どもの教育」一八六頁)。
 同じ環境に育ったからといって、二人の子どもが同じになることはありません。

 過去の不愉快なことを思い出している時は、あなたの心が過去にとらわれている時。
当然、「今」という大切な一瞬に生きることができません。貴重な時間を過去に乗っ取られているのと同じです。
 過去のことは過去のこと。さっさと手放してしまいましょう。
 幕末・明治期に活躍した原坦山(はらたんざん)という禅僧が、こんな逸話を残しています。
 連れの禅僧と二人で修業の旅をしていた坦山が、ある川の前に来た時のこと。その川には橋がなく、若い女性が渡るに渡れず立ち往生していました。坦山は、「私が渡してあげよう」と、何のためらいもなく女性を抱き上げ向こうの岸までわたりました。そして、礼を言う女性と別れて、何事もなかったかのように再び歩き始めました。
 しばらくすると、連れの僧が坦山に向かって突然怒り始めました。
 「修業の身でありながら、女を抱き抱えるなどけしからん」
 すると、坦山は驚いて「お前は、まだ女を抱いていたのか、私は川を渡った時に降ろしてきたのに」と大笑いしたそうです。
 このようにさらりと過去を手放せば、楽に生きられそうですね。

怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)
P174



 あの人は、わたしを罵った、わたしを否定した、わたしに勝利した、わたしは奪われた、と思いつづける人は、(記憶に反応して怒りつづけているのだから)怨みが止むことはない。
                                 ―ダンマパダ〈ひと組の詩〉の章

P114
 もしイヤな記憶がよみがえったら、その記憶への「自分の反応」を見てください。
相手と別れてもなお腹が立って止まらないときは、「これはただの記憶」「反応している自分がいる(相手は関係ない)」と冷静に理解して、感情を静めるよう心がけましょう。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P113


 石井(住人注;石井毅)氏の報告した「仮想現実症候群」でも、阿保(住人注;阿保順子)氏が観察した「痴呆老人の創造する世界」でも、そこに住む人々は、過去の経験に基づいた世界を生きていました。なぜ未来でなく、現在でもなく、過去の世界であるかという疑問が生ずるかもしれません。
それには、スティーブン・コスリンが「脳は過去の記憶に基づいて現実を構成している」という、逃れるすべのない過去の呪縛が用意されています。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P143


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