増上寺 [雑学]
(住人注;秀吉により関八州への国替えを命じられ)突然、故郷を離れることになった家康は、先祖の供養をするため三河の菩提寺であった大樹寺を参拝。そのとき住職より、
「いかなる地に赴くも、念仏を怠りなく。江戸の地には同門の増上寺があるよし、時に仏の道に思うことあらば、気がねせず訪ねよ」
仏像探訪 (エイムック 2124)
エイ出版社 (2011/2/17)
P77
1590年8月1日、この日を江戸入府の日と決めた家康一行は、道玄坂、青山通と一路江戸城へ向かって進んでいたところ、お城までもう間近というとき、庶民たちが沿道群がる中、門前よりじっと見つめる一僧侶の姿が家康の目にとまったのである。
家康が近習に尋ねたところ、増上寺の住職・存應(ぞんのう)上人であると。
即座に行軍をとどめた家康は、山内で茶の接待を所望。そして翌早朝に、再び増上寺を参詣した家康は、「家臣の命を預かる大将の身分で菩提所のないないのは、死を忘れる亡者と同様。江戸に城を移す上は、
この地に帰依する菩提所をこの増上寺に願いたい」と語り、存應上人はその願いを聞き入れ、以後増上寺は徳川家一門の菩提寺になったと伝えられている。
大角 修
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