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効率主義は進歩だろうか [社会]

 まげものの底に、和紙または金あみを張った容器に、番茶をいれ炭火にかざして、ほうじる。
火が通ったら土びんにとり、すぐあつい湯をさす。しゅうっとさわやかな音をたて、芳香が立つ。
のんだあと、舌になんのなごりの味も止めていないのが身上の、ごく軽い風味である。だがさ湯とは全く違う。茶である。

お茶をほうじなくなったのは、ガスや電熱が炭火にかわったことと、人手間を省くことからだろうから、これは進歩である。 進歩は好きだが、私は炭火でほうじた番茶の味も、忘れかねている一人である。
即席というものは即席の役には立つが手間をかけたコクには及び難い。
(一九六三年 五十八歳)

 

幸田文 台所帖

幸田文 台所帖

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/03/05
  • メディア: 単行本

幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)


P118
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P230
 食後に、町へ出ようとした。睡眠をさそうための本を忘れたので、本屋へ行ってなにか買って来ようとおもったのである。
 玄関へおりて、やってくるタクシーを待った。ついでに本屋がどこになるかをきいておこうと思い、フロントにいる背広姿の重厚な人物に声をかけた。宿の経営に参加している感じの頭のよさそうな人で、ライオンズ・クラブのLのマークが胸に光っていた。
「大きな本屋に行きたいのですが」
 と申し出た。
「二軒あります」  フロントがいう。
「何という名前の店ですか」 「タクシーにきけばわかります」
 ぴしゃりと言われた感じだったが、これは名答かもしれない。とくに生産主義からいえばこれほどの名答はないと思われる。 回答者からすればどうせ町の地理に暗い旅客に本屋の屋号まで教えてもむだで、タクシーにそういえば連れて行ってくれるわけであり、そのほうがはるかに能率的である。
能率こそ現代の宗教ではないか。宗教である以上に、人類はこの能率という思想によってほろぶであろうと思われるほどに、日本の経営者たちを物狂いにさせているものであり、その意味ではこの問答は中世末期に定型化された山伏問答のように、神聖教養に則ったものではないかとさえ思える
。  能率主義の教義では、私は人間ではない。多分に抽象化された「客」という種別に属するものであり、たとえて言えばコンピュータの言語であらねばならない。
 ところが、経営者から見れば私は「客」にすぎなくても、私自身は人間だと思っているところに、養鶏場のような方式がホテル経営にまるまる当てはまらないところなのである。
私は大きな本屋であればどの本屋に行ってもいいというところがコンピューターの言語的なのだが、しかし無駄ながら本屋の屋号も知りたいというあたりで人間である。
町へ出てゆくのに、本屋の固有名詞を知って出てゆくのと、ベルト・コンベアに載せられた物品のようにタクシーでただ運ばれてゆくのとではずいぶん気分がちがう。そういう無駄な気分の部分だけが、「客」でなく、人間である。
 さらに頼んで、本屋の屋号をやっと教えてくれた。

P259
 敦賀の和洋折衷ホテルの機能主義は、昭和三十年代以後の日本社会を覆っている宗教的価値観であり、この日本中をのしあるいている怪物が武生の町から川と柳並木をうばって、この町をただの埃っぽい町にしてしまったのである。
おそらくこの宗教が論理の武装して行きつくところまで行ったのが列島改造論なのであろう。
もっとも、宗教といっても、高度の哲学体系やら総合性やら人間の暮らしにみずみずしさをあたえるものをもっていないために、よほど野蛮な段階での宗教にちがいない。

P286
「街道をゆく」シリーズのなかで、この第四巻に他の紀行とちがった特質をあたえているのは、紀行の後半の各所で遭遇する土地ブームの実体にたいする作家のはげしい公憤と痛罵であろう。~中略~
 ほんらい公的な要素を多分に有する土地所有権が、まったく私益のためだけ乱用される現状を「私権の異常増殖」と観る。武生を出て日野川に沿って南下するあいだでも、ブルドーザーが動き、農地がつぶされる状況をみて「いつかこういうばかな時代が終わるという祈念のようなものを持つことなしに、こういう山河の野放図な破壊を正視することができない」と述べる。
「敦賀の和洋折衷ホテルの機能主義」にたしても、いくたびくりかえされる皮肉のはげしさ。 司馬氏は旅にでて、あまり旅館の待遇などを言あげしない人のようである。だからホテルの在りかたに個別的なものでない。いまの社会に充満する精神的荒廃をみいだしてこころ激するのである。

P288
 作家の黒暗々たる憂愁の重さを正しく理解するためには、これを現代史のコンテクスト(前後関係)のなかでながめることがぜひ必要であろう。
この第四巻の紀行がなされた昭和四十八年、そして次の四十九年は、日本の異常な土地ブームがそのピークに達した時期であった。
~中略~
それぞれの街道に歴史があるのとおなじく、「街道をゆく」シリーズの各巻も、それぞれにその旅がなされ、書きとめられた時点の歴史となんらかのかかわりをもっている。
第四巻が街道の昔への回顧をおこなうとともに、現代史のこの自己破壊的な社会現象を鋭く観察し、記録していることを私たちは評価したい
解説 牧 祥三

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: -

 

 

 現代の人間には古代の道具だけで巨石を積み、4千年間不等沈下を起こさないピラミッドを造る方法がわからない。
算用数字を使わずにソフィア寺院の構造を計算することも、鉄の道具なしにインカの石積みを築くこともできない。一切の動力を用いず一年半以内に大坂城の天守閣を完成させることすらできない。
近代技術の便利さに慣れた現代人は、昔日の人間がやってのけたことを、同じ条件ではできなくなっているのだ。
 同じ事は人口や資源についてもいえる。一旦増加した人口が急減をすると元の社会に戻るわけではないし、普及した資源が枯渇すればそれ以前とは全く違った惨めさが出現する。

歴史からの発想―停滞と拘束からいかに脱するか
堺屋 太一(著)
日本経済新聞社 (2004/3/2)
P21

 

歴史からの発想 停滞と拘束からいかに脱するか (日経ビジネス人文庫)

歴史からの発想 停滞と拘束からいかに脱するか (日経ビジネス人文庫)

  • 作者: 堺屋 太一
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2012/10/13
  • メディア: Kindle版

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