心身一元論と二元論 [哲学]
生物と無生物に特別な違いはなく、どちらも同一の物理化学法則に従うという、一元論である。この考え方を、伝統的に「機械論」と呼ぶ。~中略~
機械論という一元論に対して、生物が非生物の持っていない独自の法則を持っているという立場がある。これは物質界と生物界を明確に分けようとする二元論であり、「生気論」と呼ばれる。
斎藤 成也
生物学者と仏教学者 七つの対論
斎藤 成也 (著), 佐々木 閑 (著)
ウェッジ (2009/11)
P22
P32
そもそも、心身二元論には明白な論理的欠点があり、科学的な議論に堪えるものではない。
~中略~
霊魂の姿を「見る」にしてもその声を「聞く」にしても、なんらかの物質的かかわりが必要であり、そうなると霊魂はなんらかの物質であることになる。これは、霊魂が物質ではないことと矛盾するので、論理的に破綻する。
簡単なことだ。いわゆる「死後の世界」との交流も、同じ論理で否定できる。地獄も極楽も、死を恐れる人間が創り出した幻影にすぎない。
でも、こころなんて、そもそもほんとうにあるのだろうか。西行がこう詠んでいる。
こころなき 身にも
あはれは 知られけり
しぎたつ澤の 秋の夕ぐれ
この歌にはいろいろな解釈があるが、人間にはこころがないのだと、素直に読んでもいいのではないかと思うこのごろである。
まだ解明されていないが、脳神経系の玄妙な働きによって、私たちは自分にこころがあるのだと、錯覚しているだけなのかもしれないのだから。
仏教には無我という考え方があるので、西行のこの歌は仏教思想に沿ったものだと解釈できるのかもしれない。しかしながら、誰しも、自分のこころをじっくりと考えてみたら、実際のところからっぽだなあと、思いいたるのではなかろうか。
斎藤 成也
検査で異常が見つからない時,「精神的なものです」と医師は断言しがちです。検査で異常が見つからないと言われて,「精神疾患扱いされた」と憤慨する患者もなかにはいます。
しかし,身体疾患が見つからないことと精神的な異常が見られることは同義ではありません。
医師の側も患者の側も心身二元論の二分思考的な落とし穴にはまってないでしょうか。
不定愁訴の診断と治療 よりよい臨床のための新しい指針
Francis Creed (編集),Peter Henningsen (編集),Per Fink (編集),太田 大介 (翻訳)
星和書店 (2014/3/28)
P92
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