女帝の不文律 [日本(人)]
第一に、女帝は例外なく歴代天皇の男系の子孫であると指摘できる。女系子孫や外部から嫁いで来た女性が天皇になったことはない。~略~
そして第二に、先帝の皇后が女帝になることを原則としている。まさに推古天皇、皇極・斉明天皇、持統天皇は皇后であった。~略~
また第三に、女帝はいったん即位すると、結婚した例も、出産した例もなく、これらを禁止した不文律が成立していた点を指摘しなくてはいけない。
女帝は、在位中はもちろんのこと、退位した後も未婚の立場を貫き通さねばならない運命にあった。~略~
そして第四に、女帝の係累は側位することができないことが指摘できる。元来女帝の擁立は、皇位継承を巡る政治的緊張を緩和させるのが趣旨であり、女帝の息子に皇位継承権があるならば、決して緊張緩和にはならなかったことからも明らかである。
女帝とはその係累の皇位継承を事実上否定された天皇であった。
また、女帝は通常の天皇とは区別されていたことは注目すべきである。女帝を「中天皇(なかつすめらのみこと)」 と称して区別したことや、泉涌寺(京都市東山区)に江戸期の歴代天皇の肖像画が保存されているが、女帝の肖像画だけがないこと、そして本来天皇が成人すると、摂政(天皇に代わって政務を行なう役職)は関白(天皇の政務を補佐する役職)に置き換えられるのだが、江戸時代の女帝には、天皇の成人後も摂政が置かれ続けたことが挙げられる。
語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
竹田 恒泰 (著)
小学館 (2005/12)
P50
語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
- 作者: 竹田 恒泰
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2005/12
- メディア: 単行本
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