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男親の台所手引き [雑学]

私の父親は、食物にこころを用いないのは愚かだといい、おいしく料っておいしく食べるのは、しあわせ多きことなのだといい、衣料よりも食事を大切にする日常でした。まいにち晩酌します。
~中略~
文筆の人のせいでしょうか。たとえば最初のご酒のさかなが、すこし多めの盛付けだったりすると、「騒々しい膳をだすな。多きは卑し、という言葉をおぼえておいてもらおう。どれほど結構なものでも、はみだすほどはいらないんだ。分量も味のうちだとわからないようでは、人並へも遠いよ」といった調子です。
~中略~

幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P45

IMG_0022 (Small).JPG大正屋椎葉山荘

 こんなふうにもいわれました。燗のたつような味のもので、酒を飲ませるな、と。燗のたつ味とは、潮からさにしろ甘味にしろ酸っぱさにしろ、度ぎつい味で、しかもそれがぞんざいな早ごしらえなものをいいます。
~中略~
では実際には、何をどう扱ったかというと、それはもうごく平凡でして、ただいつも頭にあったのは季節ということだけです。魚も野菜も、しゅんのものは殊更に手をかけずとも、いい味をそなえているので、それに頼りました。天与の味ですから頼り甲斐があります。
~中略~
私が一番はじめにいわれたことは、「一度口にいれて体内へ送りこんだものは、二度と取りだすことはできないのだから、食物を調えるのは一番大事なのだ」ということでした。
~中略~
「切目ただしくないもの」という教えもありました。これは調じる側からも、食べる側からも、ともに基礎だというのです。すべての材料の鮮度のことです。魚にせよ野菜にせよ、そのものの持つ本来の姿が正しく保持されていれば、したがって切目も正しいが、その切目が痛んで、そうあるべき姿を失っているものは、きびしく排除すべきだというのです。
この可否を識別できなくては、台所にたてぬ。それほど大切な点だと、念を押されます。
~中略~
 それから段取りです。その日の材料えらみから、どう料るか、必要な調味料薬味、器具、仕事の手順、うつわ等々の心づもりです。行当たりばったりと、段取りがあるのとでは、気持のゆとりがかなりちがいます。~後略
(一九七七年 七十三歳)


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