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名利に迷うな [哲学]

  [第三十八段] 名利に追いまくられて、静かな暇もなく、一生を苦しめるのは、実に愚かなことである。
財産が沢山あると、身を守るすべがわからない。「財産」は、あやまちを求め、悩みを招く仲介となる。
~中略~
黄金は山に捨て、珠玉は淵に投げるがよい。名利に迷うのは、極めて愚かな人である。
 不朽の名を長く後世に残すということこそ、望ましいことにちがいないが、位が高く、身分の尊いのを、必ずしもすぐれた人とはいえない。愚でつまらぬ人間でも、家柄に生まれ、めぐり合わせがよければ、高い位にのぼり、驕りをきわめる者もある。
すぐれたえらい賢人・聖人でも、自分からもとめて、低い位におり、時運に合わないで終わってしまうという場合もまた多い。 それゆえ、ひとえに高位・顕官を望むのも、次に愚かである。
 智慧と心ばせとにおいてこそ、世に抜きんでているという誉をも、残したいものであるが、しかしながら、よくよく考えてみると、誉を愛するというのは、世間のよい評判を喜ぶのである。
誉める人間も、そしる人間も、ともにそう長くはこの世に留っていない。それを聞き伝える者もまた、じきに死んでしまう、とすれば、誰にはじ、誰に知ってもらいたいと願っても仕方がない。
(それに)、誉というものは、また、そしりの基になるものだ。
自分が死んだあとに、名が残ったとて、何等の益もない。これを望むのも、次に愚かである。 ~後略

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P207

徒然草 (講談社文庫)

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  • 発売日: 2019/09/20
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DSC_6236 (Small).JPG臼杵石仏

[第七十四段] 蟻のように集って、東西に急ぎ、南北に走る人間たち。身分の高い者もあり、いやしい者もある。年老いた者もあれば、若い者もある。めいめい行く所があり、皆帰る家がある。夕に寝ては朝に起きる。,br> 一体全体、人間のやっていることは何なのか。生を貪り、利を求めて、やむ時もない。身体を養って、何を期待するのか。待ちもうけるのは、ただ老と死とだけである。この二つのものが来るのは急速で、ちょっとの間も、とまらない。
これを待っている間、何の楽しみがあろうか。
迷っている者は、これを恐れない。名利に目がくらんで、(死の)せとぎわが迫っているのを考えないからだ。
愚かな人は、死期が迫っていることを悲しむ。何時までも生きていたいと願って、万物は変化するものだという理法を知らないからである。

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よく名利の二つと申しますが、名のほうが利より強い。人を動かすのも、利よりも名のほうが重いのです。
 この名利の二つから逃げることの困難さを思えば、愛欲というようなものは、まだ容易です。つまりお金によって女性から逃げることもできるし、場合によっては得ることもできる。
 やはり最終的なものは名です。なぜかといえば、虎は死して皮を残し、人は死んで名を残す、すなわち人間の永遠を願う感情がそこにはあるからです。
つまり自己をどこまでも延長させたい、たとえ死んでも名だけは残したい、という悲痛なる人間の欲望はそこには込められているからです。
 言うまでもなく、それは死に対する恐怖の裏返しです。もし人に死というものがなかったならば、私は名を求める人は一人もいないと思います。死が打開できたならば、名誉など何ものでもない。死があるこそ、人は名を求めるのでしょう。
~中略~
 生きているものが死ぬということ、これほどあわれなことはありません。生と死ほどの大きな開きのあるものは、およそこの世にはありますまい。

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)
P90

なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ! (名著復活シリーズ)

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  • 作者: 立花 大亀
  • 出版社/メーカー: 里文出版
  • 発売日: 2011/03/15
  • メディア: 単行本

 三三 もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられることはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。また我々は互いに咬みあう小犬や、笑ったかと思うともう泣く喧嘩好きの子供と選ぶところはない(32)。
信仰とつつしみと正義と真実は ひろやかなる道のかよえる地上よりオリュンポスのかなたへ(33) 去って行ってしまった。
~中略~
それならば残るのはなにか。消滅か、もしくは他に移されるのをいさぎよく待つことだ(35)。その時がくるまで、どうすれば足るのか。神々をうやまい讃え、人間に善事を施し、彼らを「耐え忍び我慢すること(36)」以外のなんであろう。
またすべての君の哀れな肉体と小さな息の及ぶところにあるものは、君のものでもなければ君の自由になるものでもないのをおぼえていることだ。

マルクス・アウレーリウス 自省録
マルクス・アウレーリウス (著), 神谷 美恵子 (翻訳)
岩波書店 (1991/12/5)
P90


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