いくら若さを誇っても、若者にはなれない [ものの見方、考え方]
効率と格好よさを好む近代社会では、若さは好ましいこととされ、老いは嫌なこと、醜いこととされている。老人たちも年より若く見られることを望み、若者に劣らぬ格好よさを求める。それはそれで結構だが、「若さ」ばかりが誇りではない。
いくら若さを誇っても、若者にはなれないのだがら、無理して若者のマネをするのは愚かなことであろう。
中世には、ヨーロッパでも中国でも、老いは誇りだった。日本でも徳川時代には、偉い人のことを年寄りとか大老とかいった。
芭蕉は五十一歳で死んだが、その十年も前から「翁」といわれたと自慢している。
(先見後願3)
堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る
堺屋 太一 (著)
PHP研究所 (2004/12/7)
P41
元禄七年(一六九四)十月十二日、大坂は花屋の離れ座敷で、この日が芭蕉忌、時雨忌ともいう。そして、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」この遺句は有名である。
~中略~
「松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」。(「去来抄」)
~中略~
「句調(ととの)わずんば舌頭に千転せよ」。(「去来抄」)
~中略~
「予の風雅は夏炉冬扇のごとし」。(「去来抄」)
~中略~
「いいおおせて何かある」(「去来抄」)
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P157
老いは自然現象だ。それなのに、いつまでも若々しくありたいと若さにしがみつくようになると、その気持ちが自分を追い詰め、次第に苦しくなる。その結果、周囲を困らせる問題行動を起こすのぎ実情である。
たとえば、モンスター老人はその典型だ。若者のちょっとしたはみ出し行動にカッとなって文句をつけたり、お店のささいなミスに真っ赤になって怒ったりする。こうした行動の底には、若者への嫉妬や、若い世代を見下す視線が潜んでいることも多い。~中略~
若づくりもほどほどにしないと、かえって老けて見えるという落とし穴あることを知っておいたほうがいい。
年寄りは年寄りらしくしていなさいと言うつもりはないが、年齢相応、もしくは年齢よりちょっと若めにまとめる程度がほどよく若々しく、好印象を与える。
精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P50
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