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地方と東京 [日本(人)]

   欧米では著名な学者や作家、画家などは風光明媚な地方か、生まれ育った故郷に住むこと誇りにしている。特にアメリカやドイツではその傾向が強く、地方に住んでも出版社や画商が追いかけて来るのが「一流の証」という人も少なくない。
 ところが日本はまったく逆、地方で育った学者や作家、画家も、いささか名が売れると急いで東京に居を移す。東京にいなければ一流ではないような雰囲気が出来上がっているのだ。
「「新都」建設」

堺屋太一の見方 時代の先行き、社会の仕組み、人間の動きを語る
堺屋 太一 (著)
PHP研究所 (2004/12/7)
P87

DSC_9744 (Small).JPG平山温泉

 社をやめてみると、なんとなく手もちぶさたで、妙なぐあいです。長い習慣で、朝八時に起きると、すぐ洋服にきかえます。十時半まで女房と駄法螺(だぼら)をふきあい十一時から仕事にかかります。夜八時まで書いて、あとは和服にきかえて遊びます。十一時半には就寝。この日課はくずすまいと思っています。~中略~
 三月に二度は東京にあそびに行っている勘定になりますが、一週間も滞在すると、帰りたくてたまらなくなります。東京や関東の荒涼とした風景は、小生にはすこししんどいようであります。
(昭和36年4月)

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P257

考えるまでもなく、日本の厚生労働省は、東京も北海道も沖縄も同じように規制しているので、まともな薬で、東京なら(金を積めば)手に入るが地方では無理、というものがあるはずはない。
ただ地方の人の地方不信、東京信仰はものすごいものがあり、マスコミもこれを煽る。
 これのどこがいけないのか。最大の問題は、地方の良心的な臨床医の士気を挫くことである。~中略~
この先生とその病院は、文句なく日本のトップレベルにあるのだが、ただ東京でないというだけで地元の人にも低く見られてしまう。その無念や思うべしである。大都会の神戸ですらこれである。もっと地方の中小都市できちんとした臨床をやっておられる先生は、もっともっと悔しい思いをしておられるだろうと推察する。 地方の医療崩壊に拍車をかけない方が不思議であろう。

偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)
P164


「どの字(あざ)ですか」
と、出身の集落をきくと、地名など下界(げかい)の人間に言ってもわからないと思ったのか、
「田舎です」
 というばかりだった。日本の文化意識にあっては、都鄙(とひ)の差別がうるさい。
平安期のころから江戸期、こんにちにいたるまで、かつての京、または江戸、あるいは明治期の東京に価値のすべてが集中し、田舎は蛮地のように見なす習俗があって、日本文化(あるいは文化意識)の重要な特徴の一つであるといえる。
この特徴はじつに精妙なもので、田舎には田舎としての都鄙があり、たとえば、県庁の所在地が県下に対して文化的優位意識をもつというぐあいだが、十津川郷にも都鄙の落差感覚があるというのは、ちょっとおもしろかった。

街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)
P142


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