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野 [言葉]

古代都市の城壁の外、つまり遠い郊外を野という、そこに住む人、つまり農民が野人の原義である。

                  論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
 中央公論新社 (1973/07)
P164

 

論語 (中公文庫 D 3)

論語 (中公文庫 D 3)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫
IMG_0052 (Small).JPG エルパティオ牧場


 また(住人注;宇和島のひとびとが「鬼北(きほく)とよんでいるこのあたりには)野々とつく地名も多い。
延(のび)野々、宮野々、藤野々、興(おき)野々といったぐあいである。これについては芝田さん(住人注;松野町の文化協会長の芝田敏夫氏)ははっきりしていて、その当時においてあらたに拓かれた水田耕作地のことを野々とよんだようです、と教えてくれた。
 これらの地名は、戦国、豊臣期の文書や記録に出てくるから、それ以前に開拓されたものであろう。
 ついでながら藤堂高虎が宇和島を領していたころ、高名な豪傑であった渡辺勘兵衛に対する知行目録に、おき(興)野々村、延野々村などが出てくる。おき野々が千四百三拾一石2升五合(「松野町誌」)とあるから相当な水田農村といっていい。
 芝田氏によると、野々とつく水田村は山地でなく、広潤地にあるという。
 このことは以下のことを想像させる。ふるい時代、山水を山田に受けて水田耕作していたのが、次第に排水土木の技術が普及したため、野の沼地、湿地などの悪水を排(は)かせて地を乾かし、水田に仕上げるようになったということであろう。全国的にみて室町期にそれが盛行したように思われる(加賀平野では低地武の新田化がおこなわれ、尾張平野では海にむかってさかんに干拓田がひろがった)。
松野あたりに「野々」ができてゆくのもそのころではないか。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P174



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