訪問看護 [医療]
訪問看護は、専門の看護師が患者の過程を訪ね、主治医などと連携して看護サービスを提供する。定期的な訪問のほか二四時間の緊急対応もする。
「在宅ケアの要となる存在」と、長野赤十字訪問看護ステーション管理者の中村妙子さん。
~中略~
増えない原因の一つは、訪問看護の報酬の低さ。全国訪問看護事業協会の二〇〇七年の調べでは、事業所の三割以上が赤字に苦しむ。二〇〇八年度の診療報酬改定と二〇〇九年度の介護報酬改定で多少引き上げられたが、「微々たるものでしかない」と中村さんは言う。
もう一つの原因は全国的な看護師不足だ。
~中略~
大北医師会会長の横沢厚信・横沢内科医院長(長野県大町市)は、「在宅の患者や家族からかかってくる緊急電話の九割は、訪問看護が対応してくれています。
すべてが医師が来たら、とてもこなせない。訪問看護が倒れたら在宅ケアは崩壊します」と心配を隠さない。
実際、大町市のステーションが担当する患者の在宅死は減っている。一九九六年度の四二人ンから二〇〇八年度は一八人と約4割まで激減した。
横沢院長は「経済的基盤を整えるため十分な報酬が必要」と訴える。
大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P116
高齢者の場合は、もっと話はかんたん。ほとんどの高齢者は、すでに住宅を持っている場合が多いからだ。その家をバリアフリーに改装するのはそんなにむずかしいことではない。
それに在来の日本家屋だって、わるくない。~中略~ 畳の部屋はちょうどいざって歩くのにラクで、ドアで仕切られていない襖の部屋は移動が自由。雪見障子やテレビなど、すべてが座卓の生活に合わせた目線の高さに統一されていて、車いすがなくても室内では暮らしに不自由はなさそうだった。
在宅の高齢者を規格サイズの建物に集めて、施設でお世話するのが「進歩」だろうか。
男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)
P166
在宅緩和ケアにおいて、大岩氏は住み慣れた家が鎮痛剤になることも感じてきた。 「病院は団体生活です。食事や起床、就寝の時間も決められ、外出も自由にできない。その反動もあるでしょうが、わが家に戻ると痛みや吐き気が治まる。表情が明るくなる、と元気になる患者さんが多いのですよ。わが家は鎮痛剤、なんです。誤解のないように申し上げておきますが、私は病院での医療を否定しているのではなく、病院医療と在宅緩和ケアは補完しあう関係が理想的と位置づけています」 同時に、患者にとって家族が心地よい存在として機能できれば、こんなに心強い存在はない、と言う。家族という鎮痛剤だ。 「終末期の在宅医療でご家族の介護負担と言えば、多くの人は肉体的疲労を想起すると思います。実際は衰え、日常の生活動作が緩慢になり、食べられなくなる変化を直視する精神的な辛さの方が大きい。その中で、ご家族が攻撃的になる場合もある。患者さんが食べられなくなっているときに『食べて!食べて!』と促す、受け応えがはっきりしなければ『しっかりして!』と注意する、などです。これは患者さんには大変辛い。したくてもできない苦しさは患者さんが一番わかっていますから」 では、病院がいいのか、という比較論も浮かぶ。 「ご家族が病院に行っても、自宅に帰ってくれば、リラックスして、患者さんのことは一時的にも忘れられる。患者さんにとってみれば、これも辛いのです。 私たちスタッフがご家族と関わるのは、患者さんにとって肉体的にも精神的にも落ち着ける状態を創る目的から。ご家族は大変な面もありますが、うまく機能して『ちゃんと支えられている』『自分たちが役に立っている』という実感を持てると、亡くなるまで側にいて、見てあげることに喜びと責任感も見出すのです」 ~中略~ がんの終末医療では、患者も家族も医師も看護師も「がんの最後は痛くて苦しいもの」という考えが根強く残る。その先入観を捨て、痛みを覚え、痛み止めで痛みが緩和されない時には、薬の更なる増量だけを考えるのではなく、痛みが強くなったり、鎮痛剤が効かない理由が、何らかの情動に由来しているのではないか、と考慮して対策を講じる発想の転換が求められている、と言えよう。 取材・文 小林照幸(ジャーナリスト)
別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P131
別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2013/04/22
- メディア: 大型本
真の病気のほかに、昔の病人は罹らなかったような、家庭から隔離されたために起る余病が併発している。あなた方(住人注;看護師)は、他人には譲渡できない病人の権利を奪い、病人にとって大切な人達を追い払ってしまった。いわば、侵入者であり、変革者であり、強奪者である。そして母、妻、姉、妹達は、あの優しい愛の務めが果たせなくなってしまったのである。
冗談はさておいて、あなた方の出現で生じた病人の心の痛みを軽視してはならない。
かけがえのない大切な命の世話(ケア)を赤の他人に委ねることは、この世の最大の試練の一つだと言えるかもしれない。病人は、神聖冒すべからずものを犠牲にして、あなた方の技能や手順に身を委ねる。
現代の複雑な社会のもとでは、看護と慈善行為は、余り正面切って行わないほうがようであろう。
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P186
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