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植民地にならなかった国 [日本(人)]

 「アジア、アフリカで植民地にならなかった国は、日本のほかに・・・・どこだろうな?おそらくひとつかふたつしかないとおもうよ。昔は一般的に、”日本、タイ、エチオピア”と言われていたけれど、エチオピアは第2次大戦前、イタリアに攻め込まれたし。あとはタイだけだろうな」
「え?そんなに少ないの?」
「日本は運がいい。いや、うんがいいのでなく頭がよかったのだろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」
 ハッとした。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがないからだ。たぶん、今の日本の中学生、高校生も習っていないだろう。幕末の日本人の中で、アフリカや南米と同じように日本が植民地になるという恐怖を抱いた人が、はたしていたのだろうか。
 第2次世界大戦の敗戦のあとも同じで、「アメリカに占領される」とは言っても「植民地にされる」とは言わなかったのではないか。この時期、欧米列強は植民地の発想は捨てていたかもしれないが、日本列島を分割占領する案が検討されていたとも聞く。

一度も植民地になったことがない日本
デュラン れい子 (著)
講談社 (2007/7/20)
P91

 

P1000048 (Small).JPG京都タワー

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)

  • 作者: デュラン れい子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/07/20
  • メディア: 新書

P93
 安土桃山時代、はるばる日本に来航したスペインやポルトガルのバテレン(宣教師)たちのことは、よく知られている。彼らはヨーロッパの珍しいものを多数持参し、織田信長などの興味を引いたが、彼らの真の目的はキリスト教布教とともに母国の領土を拡大することだった。つまり彼らは我が日本をフィリピンやマカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。

P93
 ローマ法王の名において政治が動かされていたヨーロッパに比べ、そのころの日本はすでに政教分離がなされており、格段に進んでいたのである。
 そのうえ、日本に上陸したバテレンたちが驚いたのは、日本人の清潔さであったという。
バテレンたちはアジアの端の端に、今まで征服してきたアジア、アフリカ諸国とはまったく違う、大文明国を発見したというわけだ。
 そのころのヨーロッパは不衛生極まりなかった。このあと17世紀に建てられた、今でも壮麗なヴェルサイユ宮殿さえトイレは少なく、華やかなイメージで語られるマリー・アントワネットやポンパドゥール夫人も、おまるで用を足し、それは宮殿のまわりにぶちまけられていたという。体臭をカバーするために香水が発達し、優雅に結い上げたヘアスタイルの中はシラミやダニでいっぱいだったと聞けば、日本人なら誰でもあきれてしまう。
~中略~
バテレンたちが日本人の清潔好きにカルチャーショックを受けたことは容易に想像できる。そのころイエズス会のリーダーは、部下の宣教師たちに「日本人に会うときは風呂に入り、体を清潔にしろ」と厳しく命じていたという。~中略~
 当時の日本は、ヨーロッパ以上の文化を誇る国だったのです。それゆえ布教を名目にアフリカ、アジアで植民地拡大を進めていたスペイン、ポルトガルも、日本だけは植民地にすることができなかったのではないだろうか。

 

橋爪 前略~
 伝統社会の多神教は、まあ日本の神道みたいなもので、大規模農業が発展する以前の、わりに小規模な農業社会か、狩猟採集社会のもの。素朴で、自然とバランスをとっている人びとの信仰なんです。山野原野もあって、その土地に育った人びとが大部分で、よそから移ってきた異民族はあまりいない。
だから、自然と人間は調和し、自然の背後にいるさまざまな神を拝んでいればすむ。
 日本は、先進国としてはめずらしく、こんな信仰が現在まで続いているんですけど、これほど幸運な場所は、世界的にみても、そう多くない。
 それ以外のたいていの場所ではどうなるかというと、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こって、社会が壊れてしまう。自然が壊れてしまう。もとの社会がぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになってどうするか、というのが、ユダや教とかキリスト教とか、仏教とか、儒教といった、いわゆる「宗教」が登場してくる社会背景なのです。
そういう問題設定が、まず、日本にはない。だから、そうした宗教のことがわからない。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P85

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 作者: 橋爪 大三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 新書

 

 白人は大航海時代に海外植民地を持つことになるのだが、植民地とは搾取する土地の意味である。
白人は、富を搾取するだけでなく、文化と矜持を破壊していく。
 征服した部族の王妃や姫を野蛮な兵士の慰みものとするのは、戦利品だから当然視された。人妻を自分の傍にはべらせ、夫を奴隷としてこき使い、老人になり使えなくなれば夫婦とも容赦なく処分することなど珍しくない光景だった。
中南米やアフリカの国々は、いまは独立国である。では、これらの国の歴史教育で正しい事実を伝えればどうなるか。
~中略~
 我々は歴史認識の問題を考えるうえで、現在の世界がどうなっているかを認識せねばならない。そのためには、現実にこの数百年間、世界史の中心である白人がどのような発想をしてきたのかを知らねばならない。それすら知らなければ、国際社会で太刀打ちできるはずがない。

P144
 英露が東アジアに到来する以前、日本と清の国境は曖昧であった。特に、琉球は日清両属体制にあった。日ごろは島津氏の支配に服していたが、清国の使節が来航した際には島津の役人は姿を消した。このような関係は、貿易の利益を求める日本と、裂く冊封国への面子を主張する清の、双方の利益にかなっていた。
しかし、西洋国際法体系が到来する時代にこのような曖昧な境界は許されなくなった。統治の所在が不明な土地は「無主の地」として「先占」してよいのが、西洋人の説く国際法である。日本は正しくこれを理解し、清との国境を明確にしようとした。
 日本は、台湾は清国領だと認めつつ、琉球に関しては排他的な支配権を主張した。その代わり、琉球人が台湾で殺害された際には軍事力で報復している。
清は言を左右にして謝罪も賠償もしようとしないが、日本は容赦しない。全権の大久保利通は北京に乗り込み、「台湾を清国領と認めるならば謝罪と賠償をすべし、責任がないとするならば自刀で復仇(ふっきゅう)する」と押し切った。
 大久保は、かつて副島種臣外務卿が清国から取っていた「台湾は化外である」との言質を最大限利用したのである。華夷秩序で「化外」とは「文化の外」、すなわち「中華文明の恩恵が及ばない土地」の意味である。

P149
 十九世紀の世界は、ヨーロッパの価値観が席巻していた。優雅な王朝戦争から大規模殺戮を伴う国民戦争の時代に変化していたが、戦争そのもの選ばれし者のゲームであった。
 このゲームへの参加資格は、主権国家に限定された。弱い者は非文明国として一方的に殺戮されるだけであるが、文明国と認められれば誰からも尊重される。トートロジーであるが、殺戮されない力を持つことが文明国の資格である。
 日本の地位は江戸の不平等条約により「半文明国」とされたが、明治政府は国際社会のルールを飲みこみ、上手にこなすことにより「文明国」として認めさせていくことになる。
 明治史とは、日本を文明国として認めさせる歩みであるが、これもまた「鉄と金と紙」のすべての面で行われた。<./P>

P167
 この戦争(住人注;日露戦争)は、日本が朝鮮半島三九度線を勢力圏の境界とすることを提唱したのに対し、ロシアが拒否したことが開戦の理由である。
軍事的に連戦連勝だった日本は、ロシア軍を朝鮮どころか満州まで押し返し、南満州までを自己の勢力圏とした。

P177
日露戦争は小国日本の国運を賭した戦いに違いなかったが、大国ロシアにとっては徹頭徹尾領土獲得のゲームであり、目的は限定されていた。
もし日本が敗北していれば、征服されたロシアに獲得された領土は、ご多分に漏れず悲惨な環境に置かれていたのは間違いないが、当時の論理では「植民地戦争」の範疇である。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P58

P150
 日本の出版文化の充実ぶりは、世界を見渡しても類例がない。それは江戸時代の遺産といってよく、江戸日本は世界一の「書物の国」で硬軟さまざまな本が流通しいぇいた。
 幕末史は書物で動かされた面があった。例をあげると、頼山陽(らいさんよう)の「日本外史」や「通議(つうぎ)」である。~中略~
また清の思想家・魏源(ぎげん)が著した「海国図志(かいこくずし)」というのもある。~中略~ それが日本にすぐ入ってきて、阿片戦争に危機感を募らせていた知識層に読まれた。佐久間象山や吉田松陰は魏源から大きな影響を受けており、清よりも日本で真剣に読まれた本である。
 軟かい書物もたくさんあった。それこそ黄表紙(きびょうし)、人情本、滑稽本(滑稽本)などいろいろだが、実用的面白いのが「吉原細見(よしわらさいけん)」である。これは今でいえば風俗雑誌で、吉原の妓楼(ぎろう)や遊女が細かく紹介され、郭内(かくない)の案内図付きで、遊女の格付けや料金まで書いてあった。~中略~
 当時の出版文化がすごいのは、江戸、京、大坂などの大都市だけでなく、各藩、各地域の村々にまで書物が行き渡っていたことである。武士・神主・僧侶の家に四書五経が揃っているのは当たり前で、むしろ庶民の家にも多くの書物があった。
~中略~
 つまり日本では江戸時代に出されたさまざまな本が、職業知識や礼儀作法、健康知識などのインフラを築いていた。
そこが中国や朝鮮とは決定的に違う、中国や朝鮮には高度な儒教文化や漢方医学の体系があったが、科挙の受験者や一部専門家の知識に留まった。知識が女性や庶民の実学へ広がっていかず、閉鎖的なものになり、活学の儒書がむしろ女性や庶民を教養から遠ざけていた。
 ところが日本では仮名交じりの木版出版文化で、本で女性や庶民へ実学が広がった。
識字率の高い、労働力の質の高い社会ができあがった。いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。 大砲が日本を作ったのではない。すぐに大砲も自動車も自前で作れるようになったが、この日本人の基礎教養は、長い時間をかけて「本」が作り上げた。この点が重要である。

P155
 つまり長州も薩摩も、松陰や西郷が動かしているように見えて、実は「本」が彼らを動かしていた。「取り込み性」という日本人の特性がいかんなく発揮されている。漢学、国学、蘭学、洋学、何でも貪欲に取り込んでいく日本社会では、昔から「本」が主役であった。
 だから少し前まで、本を開くときは頭の上に掲げて、決して床には置かなかった。本は大事なものとされた。
 翻って現在、はたして本はそこまで大事な存在かといえば疑わしい。~中略~
 日本が植民地にあらず独立を守れたのは、単に遠い島国だったからではない。島国というならフィリピンスマトラも、みな植民地になっている。日本が独立を保ってこられたのは、自らの出版文化を持ち独自の思想と情報の交流が行われたからである。

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2017/10/18)


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