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人生にイエスと言う [人生]

(住人注;生きる)意味は三つの主要な方向で実現されることができます。人生を意味のあるものにできるのは、第一に、何かを行なうこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。
第二に、なにかを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。
第三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃げられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引き受けるかに、生きる意味を見いだすことができるのです。

 ところで、人間は生きていくなかで、そのときそのときの「時機に突きつけられる要求」に応じて、いつでも、意味実現の方向を変える用意がなければなりません(突然方向を変えなければならないこともよくありますが)。
というのも、これまでにも指摘したように、人生の意味は具体的なものでしかありえないからです。
ひとりひとりの人間という点でもそうですし、そのときそのときの時機という点でもそうです。人生が出す問題は人によっても異なりますし、状況によっても異なります。

それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
P72

DSC_0871 (Small).JPG文殊仙寺

P162
人生はそれ自体意味があるわけですから、どんな状況でも人生にイエスという意味があります。
そればかりか、どんな状況でも人生にイエスと言うことができるのです。


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