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ユダヤ教の出現した時代 [宗教]

橋爪 まず、年表をみてください(二七ページ)。
 この年表は、エジプトの出来事と、メソポタミア(バビロニアやアッシリア)の出来事に、パレスチナ一帯(当時はカナンといっていました)の歴史が挟まれるかたちになっています。
両大国に挟まれた地域(カナン地方)に、イスラエルの人びとがいた。エジプトとメソポタミアの両大国に挟まれた弱小民族が、ユダヤ人だったという歴史がわかると思う。 島国で安全だった日本とは、まるで正反対なんです。

 さて、ユダヤ教の成立時期なんですけども、だんだん出来ていったものなのではっきりしたことはいえない。
 ヤハウェという神が最初に知られるようになったのは、紀元前一三〇〇~前一二〇〇年ごろだと思います。 そのころ、のちに「イスラエルの民」といわれるようになる人びとが、この地に入植しはじめた。神々のひとつとして、ヤハウェがあがめられるようになった。
~中略~

 これだけ長い間に、ユダヤ教はずいぶんかたちを変えているので、以下、マックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」(名著です!)を下敷きに説明します。
 ヤハウェは、最初、シナイ半島あたりで信じられていた、自然現象(火山?)をかたどった神だった。「破壊」「怒り」の神、腕っぷしの強い神だったらしい。そこで、「戦争の神」にちょうどいい。イスラエルの人びとは、周辺民族と戦争しなければならなかったので、ヤハウェを信じるようになった。
~中略~
 この「イスラエルの民」が元はどんな人びとだったか、実はよくわかりません。肥沃な低地を見下ろす山地に住み、羊や牛や山羊を飼っていた。
人種も文化もまちまちなグループの寄り合い所帯だったらしい。逃亡奴隷やならず者やよそ者もまじっていたかもしれない。 それが、定住農耕民と張り合おうというので、団結して、ヤハウェを祀る祭祀連合を結成した。ヴェーバーの言い方だと、「誓約共同体」(同じ神をいただく宗教連合)ですね。そして少しずつ、カナンの地に侵入していった。
 旧約聖書には、モーセが人びとを率いて紅海を渡り、シナイ半島をさまよった「出エジプト物語」とか、モーセのあとを継いだヨショアが、エリコの町を攻略したとか書いてありますが、これはずっと後世に書かれたもので、その通りの歴史的事実があったとは信じられない。
じゃあ実際はどうだったのかというと、あんまり古いことなので、よくわからない。でもともかく、ときには平和的に、ときには実力で、先住民に割り込んで、カナンの地に定着した。そして、彼らの国をつくった。
 この段階では、ヤハウェは、数ある神々のひとつです。カナンの先住民は、さまざまな神を信じていた。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P25

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