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有料老人ホーム [雑学]

 自宅での最期を望む人が増える反面、家族の介護力は低下している。
自宅に代わる療養の場として期待されている居住型施設の代表格が、有料老人ホームだ(→解説26)。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P118



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P140
解説26 有料老人ホームの種類
 食事や生活支援のサービスが受けられるのは同じだが、要介護状態になった場合の対応の違いで、(1)介護付き、(2)住宅型、(3)健康型の3種類に分かれる.
「介護付き」は、人員配置など介護保険で定められた基準を満たし「特定施設入居者生活介護」の指定を受けている施設.ホーム職員が介護をする一般型と委託先の事業所が介護をする外部サービス利用型がある.
「住宅型」は、ホームは介護サービスを提供せず、入居者は地域のサービスを利用する.「健康型」は、要介護状態になったら退去するか別施設に移る必要が有る.

P143
家族が頼りにならないとすれば、安心して最後まで看とってくれる有料老人ホームに入って、3食介護付きで過ごすには、いくら必要か。
 終身利用権付きの有料老人ホームはずいぶん増えたが、どれも最初の入居金が数千万円台。月額利用料が20万円から30万円程度。これに医療費や介護費用が別途かかれば、死ぬまでに5000~6000万円はかかるだろう。カネがなければ、三途の川も容易には渡してもらえない。

P144
 ケアというサービス商品に限っては、価格と品質が連動しないことは歴史が教える事実である。見かけは豪華な施設にも「拘束」(手や身体を縛ること)のような高齢者虐待があることは知られている。
理由はかんたん。ケアというサービス商品は、利用者と購買者が一致しないからだ。事業者はどうしても、購買者のほうを向いてしまう。
 購買者とはだれか、といえば家族のこと。高齢者を施設に入れた家族にとって、最大のサービスとは、高齢者を家に帰さないことだ。つまり施設とは、小笠原和彦さんが書いたノンフィクションの題名どおり「出口のない家」(略)、つまり多くの高齢者にとって、いったん入ったら生きては出られない場所なのだ。
 見かけの豪華さや、利用料金の高さなどは、高齢者をウバ捨てした家族のやましさの代償。~中略~そりの合わない母親を高額の施設に入れた、絵本作家の佐野洋子さんは、「わたしは母をカネで捨てた」と率直に言う(「シズコさん」略)

P161
 介護保険がもともと在宅支援を理念としていたことは、すでに述べた。
ところがスタートした書記の目算違いは、在宅支援事業に対するニーズよりも、施設入居志向がいっきょに高まったことだ。
介護保険は、措置時代の施設入居の「ウバ捨て」という汚名を返上して、「中流家庭の子世代が、親を施設に入れることへのハードルを下げる効果があった」と皮肉な説まであらわれたくらいだ。

P164
 私たちの共同研究者には、イケメンの建築家、岡本和彦さんがいる。彼は病院建築の専門家である。
彼の書いた論文に、「施設度の高さ」というユニークな概念がある(長澤泰・伊藤俊介・岡本和彦「建築地理学―新しい建築計画の試み」~略~)。
彼によれば、ヒトの集団性・画一性・効率性、空間の孤立性・自己完結性、そして時間の計画性・統制性・非限定性が高ければ高いほど、「施設度」が高いと判定する。
ついには、建物と機能が一体化すると、施設の「世界」化が完成する。施設が自分の生きる全世界になってしまったところは、監獄や収容所。

小笠原さん(住人注;小笠原和彦さん)が「出口のない家」と呼ぶように、死体にならなければ出て行けない高齢者施設は、強制収容所と変わらない。だれがこんなところで暮らしたいと思うだろう。
「安心」を施設でしか確保できない、という考えはまちがっている。しかも、施設が提供している「安心」は、本人の安心以上に、家族の安心だ。年老いたお父さんやお母さんを施設に入れてさえおけば、「わたし(たち)が安心していられる」・・・・、
その家族の安心の代償に施設に入れられるとしたら、まったく本末顚倒だろう。 

男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)


P141
スイスのほぼ中央、ルツェルン市の郊外リッタオの町にある老人ホームは、一九七六年に完成したものです。立案者のフォンディエル氏の構想は、老人ホームを孤立させないで、地域社会と一体化ものにしたいとの考えから、この施設には大きな集会場があり、町議会をはじめ、セミナー、音楽会、各種の会合等が行われ、さらに、若い人びとのクラブ活動や、妊婦の健診、訓練の場でもあり、昼食時には近くのギムナジウムの生徒が食事をとりに来たり、夜にはディスコも開かれるそうです。
 このように、地域全体の広範囲な活動に利用され、つねに、地域の人びとが集まって来る場となっているのです。さらに、このホームの裏側には、小動物園もあって、子供たちのにぎやかな声に包まれていました。
 訪れたホームの外見は、普通の高層アパートという感じでしたが、一歩なかに入ると、サロンと、その奥の食堂が、広々とひらけて明るい感じがし、老人だけでなく、とくに若い女性のグループが楽しげにお茶を飲み、談笑し、ホールでは、幼児たちが母親の見守るなかで遊戯をしていました。
 これが老人ホームか、と疑うほどで、施設全体が明るく、ほのぼのとしたものを感じました。老人だけを孤立させないで、あくまでも地域社会と混然と一体化したものでありたい、という創設者の意図が、計画倒れに終わらず、立派に実を結んでいる姿はじつに感動的でありました。
 私は一八年前、スウェ―デンの老人ホームを見学した折に、そのホームの園長がいわれた言葉を、思いだしました。というのは、地域社会から隔絶された、このような郊外の老人だけの集団では、いろいろと問題が起って、とくに、入所者の精神的異常が問題になってきている、とききました。
 老人といえども孤立した老人のみの集団では、人間としての本来の生き方に反し、地域社会と一体化した老人の生活の場がなくてはいけない、というそのときの話が印象的でした。
 それ以降、スウェ―デンでは、郊外の老人だけの施設というものを反省し、地域社会のなかへ老人を包みこむように、方針を変更し、着実に成果をあげているとききます。この副子の先進国の反省が、一四年前、このスイスの山のなかの指導者の発想となって、このような施設が生まれたものと悟り、二重の感慨を覚えたのでした。

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 つぎに訪れた西ドイツシュツットガルトの老人ホーム、ハウス・セントモニカは、市街地より少し離れた、小高い丘陵地帯の一画にありました。その周辺にはアパート群が連なり、ホームの裏手には、図書館や音楽ホールなどがあり、地域の教育、文化施設の中心に、このホームが置かれていたのです。正面玄関から一歩なかに入って、思わず目をみはりました。
 眼前に開けた中庭の風景は、かつて訪れたハワイ島の、マウナケア・ビーチホテルの中庭を連想させたほどで、リゾートホテルの姿がそこにあったのです。~中略~
 居室は、寝室と居間とに分かれ、個室、または二人部屋方式で実にゆったりとし、どの部屋にも、それぞれの老人の生活の場があり、入居時に持参した思い出の家具や調度品が部屋を飾っていたのです。だれ一人として寝たきりの姿はなく、服装も明るくこぎれいで、生き生きとしていました。

P146
 ヨーロッパの施設の実情を視察して、日本の寝たきり老人は、まさに人為的に作られたものであり、われわれも、やればけっしてできないことはないと、痛切に感じたのです。

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)


 ちなみに、在宅での介護をする場合、かかる費用は平均で月4・4万円と言われています。年間で考えると52・8万円かかります。
 一方、老人ホームなどの施設に入居すると、平均で月々15万~25万円はかかると言われています。 間を取って月20万円と考えると、年間240万円です。
高いところでは月30万円以上するところもあります。そのほかに入居時預かり金として、500万~7000万円ほど必要な場合もあります。
 ちなみに、介護の年数は平均で4・9年と言われています。約5年とすると、在宅介護の場合、平均でトータル264万円、老人ホーム等の施設に入居した場合、平均でトータル1200万円はかかる計算です。

「貧乏老後」に泣く人、「安心老後」で笑う人
横山 光昭 (著)
PHP研究所 (2015/10/3)
P96


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