人間はこわれものだ [哲学]
歳をとるにつれて、人間はこわれものだという感覚が身にしみてきた。こわれものだから、取り扱いを乱暴にすると、「こわれてしまう。無理をすれば、カラダもこわれるし、ココロもこわれる。
こわれるものはこわれものらしく、大事に扱わなくては、と思うようになった。
男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)
P91
この章を読んで、ごく健康に生きているように見えていても、我々は、我々の臓器は、そして、我々の細胞は、常に外部からなんらかの攻撃をうけていることがおわかりいただけたかと思います。
そして、そのれに対応して、「人みな骨になるけれど」、なんとか正常な状態を保とうと、いろいろなメカニズムを駆使してやりくりしている、というのが、生きているということなのです。
病気というのは細胞の働きがいろいろな傷害をまかないきれなくなって破綻した状態、という言い方ができます。しかし、そのような状態になってもすぐ死ぬわけではありません。
細胞たちは、正常とは少し違った状態で、ちょっと専門的な言葉になりますが「病態生理」的に新しい平衡状態で生きていくようになるのです。ある意味、だましだまし、というところでしょうか。
なんだか、細胞の生きざまって人生といっしょみたいな気がしませんか?
精神は「人みな骨になるならば」と達観しながら、肉体は「人みな骨になるけれど」と踏ん張っていく。そんなおとなにわたしはなりたい。って、もう還暦ですけど。
こわいもの知らずの病理学講義
仲野徹 (著)
晶文社 (2017/9/19)
P101
2022-06-14 07:52
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