脳力の劣化 [所感]
私見であるが、栄養状態の改善により日本人の体格はもはや西洋人に引けを取らないようになっている。
しかしながら、みんなうすうす気づいていることであると思うが、日本人の忍耐力、倫理観といった精神性
、つまり脳力はかなり劣化しているように思う。
犯人探しは置いといてもこれは間違いない様である。
政治家も、警察も、教師も、そして医師も、上司も部下も、、父親も母親も、ジジもババもみんなである。
馬寄村の住人
P182
確かに今の日本人は、恐ろしく幼児化している。精神も幼稚になりつつある。私は年末の一時期をシンガポールのホテルにいて、日本からのテレビはNHKだけで、あとはインドやマレーシア系のテレビを含めて、イギリスのBBC、アメリカのCNNなど外国で制作された番組を見るほかはなく過ごした。すると否応なく、比べてみるという機能が働くのである。
その結果明らかな特徴が出てくる。日本のNHK番組は、奇抜な衣装、画面の色の氾濫、着ぐるみの流行、ジェスチャーの多発、女性アナウンサーの甲高い声、可もなく不可もない万人向きの文句のつけようのない平凡なコメント、子供番組でもないのに必ずキャラクターが登場する、などという点において際立っている。
他国の局はもう少し大人だ。~中略~
日本人の多くは、もはや個性を持たなくなった。すべての人の言う通りの型通りの価値観にしがみつき、同じ時間のつぶし方をする。
哲学もなく、気概もなく、本を読んで人生を考える努力もしない。与えることは一切考えず、「弱者に優しい世界」を要求する。
子供がお菓子や玩具を買ってもらえないと、地団太を踏んで泣き嘆くのと同じだ。
この日本社会の幼児化に、わたしは少し倦(あ)きて逃げ出そうという気になっている。
P191
私は最近の日本を「消失の時代」に突入したと思っている。昔は何気なく、それゆえに素朴に健全に所持していた日本人の特性を、あちこちで失ってしまった。しかしその恐ろしさに気がつかないでいるのが現状だ。
まず日本は世界一の安定した国民生活を享受している。~中略~
してもらって当たり前。少しでも自分が苦労することは政治の貧困のとして告発しようという甘えの真理は蔓延した。自分の得ている幸運の自覚の消失した時代に入っている。
~中略~
昔は誰でも、職人として数年間の長い徒弟期間を経て一つの職業に専念し、その道のプロになって一生を終わったものだった。~中略~ 辛抱する力の消失というか、日本の誇るべき職人が焼失した時代を迎えたのだ。
P193
戦後教育は、絶対にあり得ない平等を要求し、それがあたかも実現できるかのような錯覚を子供に与え、各々の人が自分の立っている地点、自分の与えられた資質を生かすことを指導しなかった。
平等というものは、目指すものではあるが、DNAが一人一人違うということが、平等はあり得ないことを示している。教育が平気で嘘を教えたのだ。
その結果、不運を抱える人に対して国家が助けるのも当然だが、大切なのは、個人の心の優しさだという点は忘れている。個人は、心からの同情、慈悲、現実に恵むことなどができて、初めて人間になる。しかし今の人たちは、「困った人は、国家に助けてもらったらいいんじゃないの?」と組織による救済を当てにする。
慈悲の心の消失した、殺伐たる時代になったのである。
P195
格差解消が世界の主流になったから、芸術はどんどん衰えている。もはやレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術家が現れる可能性は皆無に近い。強大な富の格差のみが可能にするパトロネージを行える富豪が消えたからだ。
善か悪か、どちらかだと考える幼い考えが戦後の日本に定着した。物事の両面性を見られる大人の日本人が消失してしまったのだ。
過去には、金持ちが贅沢な暮らしをしたから、日本の陶器の技術も漆芸も、世界的なレベルに達し、それが国富に貢献して来た。現在日本の陶器産業は壊滅状態だという。
金持ちがいず、中産階級はお皿を買わない。おかず売り場で買って来た食物を、プラスチック容器のままテーブルに出して洗わずに捨てる。それが恥ではなくなったのである。人を招待して食事をするという習慣もなくなると、きれいな陶器も要らなくなった。
P207
就職難だとは言うが、伝統工芸の世界では、あちこちで技術を継いでくれる後継ぎがいないという嘆きを聞く。だからそういう特殊な技術を何年がかりでも身につけようという青年は、必ず就職先があるに違いないのだが、それでも職がないと言う。
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
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