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ギリシアの神々と日本の神々 [宗教]

 ギリシアの神話と日本神話―従って、我々の昔話―との類似は、単にひとつのモチーフの共通性ということではなく、実はその根本的な構造において一致点をもっている。
それは、男性神の暴行によって、大女神が怒って身を隠し、そのため世界は実りを失って困りはてるが、神々がさまざまな手段によって大女神の心をやわらげ、それによって世界の状態が正常に復す、という根本構造において一致するのである。

昔話と日本人の心
河合 隼雄 (著)
岩波書店 (2002/1/16)
P87

DSC_0959 (Small).JPG川中不動と天念寺

私は、常々、狩猟採集民の言い伝えや神話に興味をもってきた。日本のアイヌの人びとやオーストラリアのアボリジニの人びと、カラハリ砂漠のクン族の人びと、そんな人たちの言い伝えの中にも動物をめぐる話はたくさん出てくる。
 それらの言い伝えや神話の内容の解釈をめぐっては、人類学、心理学をはじめとして、さまざまな分野からの研究があるが、私は動物行動学の視点から次のような解釈をしている。
 まず、言い伝えの特性として主に以下の四点があげられる。
(1)言い伝えに登場する動物は、人間にとって大きな害を与えたり、食料になったりするような、要するに影響力が大きい動物である。
   たとえば、アイヌの人びとの言い伝えでは、クマやヘビ、シカ、サケといった動物である。
(2)人間の”生き死に”に大きな影響を与えるような出来事が含まれることが多い。
   たとえば、「・・・・したので死んでしまった」とか「魔物のようなものが襲ってきた・・・・」「命を投げ出して・・・・」「道に迷って・・・・」といった内容である。
(3)人以外の生物については擬人化して描くことが多い。
   「(クマが)子どもを失って悲しんで・・・」、「(タヌキが)死んだふりをして逃げてやろうと思って・・・・」「(キツネが)大変喜んでお礼に・・・・を差し出した」といった具合である。
(4)一応、話の因果関係的なつながりはつけようとする。ただし、そのつながりは合理的ではない場合が多い。ちょうど夢の中で起こる出来事の内容のつながりに似ている。
~中略~
別の例として世界中で大ヒットした映画「ロード・オブ・ザ・リング」をあげることもできる。
 ロード・オブ・ザ・リングは、ヨーロッパに広く伝えられている神話の典型をもとにつくられた話だと聞くが、
(1)人間の命を脅かす凶暴な動物やそれが姿を変えた魔物
(2)命をかけた行為・出来事
(3)動物や植物の擬人化
(4)全体を結びつける因果関係
といった、前述の特性がそこここにちりばめられている。
 ハーバード大学のエドワード・ウィルソンやミヒャエル・ヴィッツェルは、世界の神話は、共通の要素と構造を持っていることを説得力をもってのべている。彼らが指摘する要素と重なるものもあるし、重ならないものがあるか、いずれにしろ本質的には大きな違いはない。
 それは、みな同じ視点から神話を分析しているからだと思う。その視点の一つは、「われわれホモ・サピエンスの脳は、周囲の自然や社会の中で生きていくうえで有利になるような”癖”をもっており、その脳が癖に影響されながら神話や言い伝えをつくり出したり記憶したりしている」ということである。
~中略~
 はっきり言えば、脳は完全に無秩序なものは把握も記憶もできないのである。前述のウィルソンは、神話も含めた芸術は、知性によって引き起こされた混乱に秩序を与えていると主張している。
~中略~
 言い伝えはこのようにして、一部の対象についての真理を含みながら、脳の癖にフィットするように編曲され伝えられてきたのではないだろうか。

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学
小林 朋道 (著)
築地書館 (2007/03)
P64

山折 日本のさまざまな神を大別すると天つ神、国つ神のニ系統に分かれますが、一般の信仰は国つ神を中心に形成されてきました。
 天つ神はお隠れになりますが、これは亡くなるという意味ではありませんね。隠れてもまた現れる神だからです。天照大神の天の岩屋隠れなどはその象徴です。 
 ところが、高天原から地上に下って国つ神となった神々は、やがてなくなって葬られます。葬られることでそれぞれの土地に鎮まり、私たちは先祖として祀ったり、清めたり、土地の発展を祈ったりするわけです。

山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P182


折口信夫(おりぐちしのぶ)は一九五二年に「産霊(むすび)の信仰」という特別講義の中で、神道関係者たちを前にして、日本の神々には二つの系列があると語ったことがある。
「現在、我々の信仰しつづけている神道は、謂(い)わば、宮廷神道に若干の民間神道の加わったものがつづいて来ている湧だが、産霊の神の信仰になると、少し特殊なところがある。
其点をお話しして、あなた方に注意して貰いたいと思う。産霊の神は、天照大神の系統とは系統が違うので、其点をはっきりして置かないと、考えが行き詰って了う」。
 古代の宗教や信仰について語るとき、われられはどうしても「古事記」「日本書紀」などの文献に頼りがちになる。しかし、それらはのちの中央権力によって政治的な意図を含んで編まれたものであり、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、素戔嗚尊などをメインにした神々のパンテオンにすべてを吸収しようという企みのもとにまとめあげられたものである。
おそらく古代にこの列島に分布していた神々はもっと多様だったはずなのに、そのパンテオンから外された神々はいつのまにか正統ではないものとして排除されていったのだった。
しかし、実際にはそれらの神々が拠って立つ基盤なくしては、日本の固有信仰成立することもなかったのである。
折口のいう「産霊の神」とはそれらを指しており、千数百年も生き延びてきたそうした神々も、明治以来のいく度かにわたる宗教弾圧(行政による宗教への介入)を経て、いまや風前の灯といった状況である。ところが、熊野を中心とする紀伊半島にはいまもそうして神々がきあすかに息づいており、それゆえに人びとは熊野に強く惹かれるのではないかと思われる。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P3


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