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キリスト教 [宗教]

大澤 キリスト教を理解するときのポイントは、実はユダヤ教があってキリスト教が出てきたということです。
ユダヤ教を一方で否定しつつ、他方で保存し、その上にキリスト教がある。つまり、キリスト教は二段ロケットのような構造になっています。
~中略~
 キリスト教の非常に独特なところは、自らが否定し、乗り越えるもの(ユダヤ教)を、自分自身の中に保存し、組み込んでいるところです。
否定的なものとして肯定しているとでもいいましょうか。この点を端的に示している事実は、キリスト教の聖典が、旧約聖書、新約聖書という形で二重になっているということです。
ユダヤ教に対応する部分が旧約聖書であり、イエスの後に付け加わったのが新約聖書です。おもしろいのは、旧約聖書を廃して新約聖書がキリスト教の聖典になっているのではなく、キリスト教の中に、旧約聖書がそのまま残されていることです。
~中略~
イスラム教は、先行するユダヤ教やキリスト教を明らかに前提にしている。ただ、イスラム教の場合には、それらを否定するというよりも、再解釈したうえで、自分の世界の中に取り込んでいます。
だから、聖典も、旧約と新約のように二種類あるのではなく、クルアーン(コーラン)という形で単一なものとして統合されている。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P14

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版

 

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P16
橋爪 前略~
 ユダヤ教もキリスト教も「ほとんど同じ」なんです。たったひとつだけ違う点があるとすると、イエス・キリストがいるかどうか。そこだけ違う、と考えてください。

P230
 考えてみると、キリスト教をキリスト教にしたのはパウロであると言ってまず過言ではない。実際、新約聖書の大半はパウロの書いていることになっています。
パウロがいなければ、キリスト教がひとつのシステムとして継承されることはなかった。だから、もし、あえてキリスト教に対して、伝統的な意味での教祖という言葉を使うとすれば、イエスよりもパウロのほうがそれに近いかもしれません。
 しかし、パウロはペテロやユダなどと違って、最初からキリストに付き従った直弟子ではないんですよね。
先ほどもすこしお話しましたが、パウロはあるとき急に回心してキリスト教徒になった。それまではむしろ、徹底したキリスト教徒への弾圧派だったのに、ある日突然、考え方が変わって、今度はキリスト教を必死に擁護し、体系化していきました。
~中略~
 整理すると、まず、神の子か救世主のような人が登場した。その神のような人の横には、十二人も直接の弟子がいた。しかし、キリスト教という宗教を体系化するのに貢献したのは、その十二人の弟子ではなくて、後から入ってきたパウロだった、という構造です。
パウロ自身は、生前のイエスに会ったことすらなかった。

P234
橋爪 まず、十二人の弟子の能力があまりに低かった。
~中略~
 つぎに、言葉の問題があって、イエスと十二人の弟子たちはヘブライ語(ないしは、昔の説だと、ヘブライ語の方言である、アラム語)を話していた。ヘブライ語では、ヘレニズム世界の人びとに伝わらないのです。ヘブライ語を話すユダヤ人コミュニティのなかしか活動できない。
英語のできない日本人みたいな感じで、新興宗教をつくったとしても、世界に布教することができない。圧倒的な少数派のままである。
ギリシア語がよくできたパウロは、いまで言えば英語がペラペラな国際派ですから、ヘレニズム世界にキリスト教を布教するチャンスがあった。初期教会では、ヘブライ語で活動する国内派と、ギリシア語で布教する国際派が、勢力を二分していたのですね。
 そのあと、政治情勢の変化によって、エルサレムの活動拠点が奪われてしまったこともあって、キリスト教会は国際派、とりわけパウロの教義によって基礎づけられることになったのです。

P236
橋爪 そもそも、教会というものができたことが、パウロの最大の貢献ですね。
P256

橋爪 前略~
 東方教会と西方教会が分裂したのは、スポンサーであるローマ帝国が、テオドシウス帝の死後、東西に分裂したからです(三九五年)。~中略~
公会議が開けなければ、解釈の違いを調整する方法がない。そこで、両教会の解釈がしだいに喰い違っていって合同できなくなり、やむなく別々の教会になって、今日に至っているのです。
「正統」教会も「カトリック」教会も、「本物」の教会の意味。温泉まんじゅうの「元祖」と「本舗」のようで、どっちがほんものかわからない。

P269
橋爪 キリスト教は、一神教なのに、宗教法(ユダヤ法やイスラム法にあたるもの)がないという変種なので、その内実は、学説(三位一体説のような)なのです。でもそれをラテン語でのべるから、民衆にはちんぷんかんぷんわからない。そこで大きな役割をはたしたのが、画像(十字架のキリストやイコンや聖人画。これは、一神教が偶像崇拝禁止のはずであることを考えると、皮肉です)や、音楽や、儀式(洗礼や、パンとブドウ酒の聖餐や、告解など)でした。画像や音楽や儀式は、言葉がわからなくても、教義がわからなくても、それなりに理解できる。

P256
橋爪 前略~
東方教会はギリシア語を、西方教会はラテン語を使った。
~中略~
東方教会は新しい地域に布教するのに、その地域の言語を典礼に採用したので、つぎつぎと教会(総主教座も)が分裂していった。ロシア語を使うロシア正教会、セルビア語を使うセルビア正教会、という具合です。これはラテン語以外認めず、カトリック教会を分裂させなかった西方教会の行き方と反対です。西方教会は、「ひとつの教会+多くの国家」の体制、すなわち、西ヨーロッパ世界の土台をつくりました。
大澤 前略~
 ローマ教会がラテン語を使ったので、結果的には、西洋では長い間、ラテン語が学問的な言語となりました。~中略~ デカルトとパスカルの往復書簡のほとんどは、ラテン語で書かれているそうです。ですから、ラテン語の権威は、近代の入り口まで及んでいるわけです。
 しかし、考えてみると、そもそもなんでローマ教会がラテン語を使ったのか、よくわかりません。
橋爪 本来なら、ギリシア語であるべきですね。
大澤 そのとおりだと思います。
橋爪 ヘレニズム世界の共通語はギリシア語なんだから。
 けれども、西方ローマ教会は、ローマ帝国と深い関係を持った際に、教会の言語をラテン語にしてしまった。聖書も、ウルガタ訳というラテン語の聖書を使った。
 キリスト教はイスラム教とちがって、聖書が翻訳でも構わないのです。

P272
大澤 前略~
 ここまでキリスト教がいかにユダヤ教を引き継いでいるかということを強調してきましたが、同時に、キリスト教には明確にユダヤ教の否定という面もあります。あるいは、ユダや教にはない要素がキリスト教にはある。 それがイエス・キリストで、これが入ったがために、非常にやっかいな問題が生まれたことはすでに議論しました。
三位一体などというのも、考えようによっては、詭弁にすら聞こえかねないアクロバティックな論理ですよね。
 それに対してイスラム教は、ユダヤ教へのこうした過激な否定の要素がなくて、もっと素直にそれを発展させているように見えます。イスラム教にとってムハンマドは別格の存在ですが、、前にも話したように、それでも預言者です。ユダヤ教の預言者の伝統を否定していない。
 聖典に関しても、新約聖書には内部に不一致や矛盾が含まれているのに、クルアーンはそいしたことがない。~中略~ イスラム教は、さらに、法の面でもきわめて整合性が高い。クルアーンでは足りない場合にはどうするかということについても、きわめてシステマティックな規定がある。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
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