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五十の坂とか六十の峠 [人生]

 このごろ私はお墓まいりが苦労になってきて、こうまってしまう。
~中略~
 怠慢もたしかだが、からだが苦労になってきたこともいなめない。五十の坂とか六十の峠とかいうが、坂とはうまくいったもので、登ろうと思えばどうにか登りはするものの、息は切れるし、耳は鳴りだす。
下れば下ったで膝はがくがくするし咽喉はかれる。登るも下るも、してできないことはないが、くたびれるのである。
墓参をして、疲れて、そのあと食事の仕度、風呂の仕度に人手をわずらわしているのでは、何がご供養だかわからないことになる。
かといっておまいりをしないのもおちつかない。
(一九六五年 六十一歳)

幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P137

 

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もし50代に人生のピークが来るとしたら、前半が上り坂、後半が下り坂。その配分は半々くらいと承知しておくほうがよさそうだ。
 上り坂のときには、昨日までもっていなかった能力や資源を、今日は身につけてどんどん成長・発展することができた。下り坂とは、その反対に、昨日までもっていた能力や資源をしだいに失っていく過程である。昨日できたことが今日できなくなり、今日できたことが明日はできなくなる。
 問題はこれまで、人生の上り坂のノウハウはあったが、下り坂のノウハウがなかったこと。下り坂のノウハウは、学校でも教えてくれなかった。そして上りよりは、下りのほうがノウハウもスキルもいる。

男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)
P79

人は四十歳、五十歳になると、知らず知らずのうちに変化が忍び寄ってくる。肉体的には髪が白くなり、また筋肉の弾力が徐々に衰えてきて、五本の横桟のある門も飛び越えられず手で開けて通らざるをえなくなる。そのような変化は遅かれ早かれ誰にでも起こる。気の毒なほど歴然とした変化を見せる人もあり、人によっては、変化の歩みは眼に見えず、気づかぬうちに起っていることもある。
この肉体的変化は、通常、精神的変化を伴う。精神的変化とは言っても、応用力や判断力が喪失するというわけではなく、かえって精神はより明晰になり、記憶を保持する能力が増すこともある。
しかし変化が見られるのは、受容力の低下と、知的環境の変化に対応できないという点である。四十歳以上の人が新しい真理をなかなか受け入れようとしないのは、こういった精神の柔軟性を欠くからである。

平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P48

P160
 私たちは、30歳代から40歳代に至るまでは、結婚・出産・育児などのプライベートな生活が抱負にになり、仕事でも充実した時期を迎える。
この時期は「駆け抜けるしかない」時期であり、 後に振り返れば、「人生のコアな部分」であることに気付く。しかし、その真っただ中にあっては、無我夢中で駆け抜けている時期である。
 そして、50歳代を迎えるのである。50歳代は、仕事面では、責任ある地位に就いたりする時期であり、ますます多忙になる場合や、内容的には管理者的な比重に移り変わっていく場合もある。
しかし、プライベート面では、たとえば家庭にあっては、子供たちが成人になり、家を出て行く場合もある段階に入っていくことが多い。わずかながらも、空白の時間が生まれるのであるが、どうやら、人は50歳を過ぎるあたりから、「自分探し」を始めるようなのである。

P172
 自立的に生きられる「健康寿命」は男性でほぼ70歳、女性でほぼ74歳だ。人は、自分の人生の「点」と「点」をつなげて「線」にする作業を始めるのが50歳くらいで、ほぼ10年かけて「自分史」を作るという話をした。それにしても、50歳から健康寿命までのほぼ20年間は、「自分史」をつくりながら、残りの人生、つまり「2度目の人生」を考え、愉しむ時間でもあるわけだ。素敵な「2度目の人生」を送った人、2人を紹介する。
 まずは、50歳から夢を追いかけた伊能忠敬だ。~中略~
 2人目は、50歳代から次の人生へ向かったオードリー・ヘップバーンだ。「たしかに、私の顔にはシワが増えたかもしれません。でも、このシワの数だけ優しさを知りました。だから、若い頃の自分より、今の自分の顔のほうがずっと好きですよ」・・・・・

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)


P48
 これまで日本では、社会通念的に、だいたい人生を、生まれてから人間として生きるすべを学ぶ「学習期」、その後、独り立ちして生活を支え社会で活躍する「仕事期」、そして、心身ともに老いを覚えて社会の第一線から退く「老年期」の三つぐらいの時期に分けてきたように思います。その「老年期」のはじまりが、だいたい六十歳でした。
 中国の人生観はどうでしょう。孔子の論語にこうあります。
「吾(わ)れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」
(私は十五歳のとき学問をこころざした。三十歳でひとり立ちした。四十歳にして惑いがうせた。50歳で天命を知った。60歳で他人の意見を聞けるようになった。70歳で、道を外すことなく心のおもむくままにふるまえるようになった)
 有名な格言ですが、これは日本人の人生観にも、大きな影響をあたえています。
 仏教の発祥地、古代インドでは、人生を四つの時期に分けて、その時期の過ごし方を指南しています。
 ゼロ歳から二十五歳までは、「学生期(がくしょうき)」。
 二十五歳から五十歳が仕事をもち、結婚して自分の家庭をもつ「家住期(かじゅうき)」。
 五十歳から七十五歳までが、仕事や家庭の一員から卒業して、社会的活動をやめ、林に庵(いおり)を結び、人生を思索する「林住期(りんじゅうき)」。
 七十五歳を過ぎたら、庵をたたみ、ずた袋ひとつで、自分の死に場所を探して放浪する「遊行期(ゆぎょうき)」。
 古代インドで、このような人生区分を考えていたころの平均寿命といえば、三十代。多くの人たちが「家住期」でこの世を去っていたのです。
 いずれにせよ、七十歳まで生きたら、それこそ、古来稀、ふつうではありえない。稀有(けう)なことだったわけです。
 その中で、ブッダは八十歳まで生きました。

P62
 しかし、人間は何のために働くのでしょうか。
 もちろん生きるためです。そして生きるために働くとすれば、生きることが目的で、働くことは目的ではなくて、手段に過ぎないのではないか。いま私たちは、そこがさかしまになっているのではないか、と感じることがあります。
 働くことが目的になっていて、よりよく生きてはいないのではないかと、ふと感じることがあるのです。
 人間、本来の生き方とは何か。そのことを考える余裕さえなしに、必死で働いてきたのが、「人生五十年」時代の生き方でした。
 乱暴な言い方ですが、私は、現代に生きる人びとは、五十歳でいったん立ち止まって、これまでの人生、これからの人生を、よくよく考えてみるのはどうかと思うのです。

P66
 私はいま、百年人生という大きな課題を前に、こんなことを考えています。
 五十代から百歳への道のり、つまり古代インドで考えられた「林住期」から「遊行期」への長い下りの道を、日本人の年代感覚に添って、十年ごとに区切り、その各十年を、どのように歩くかを考えてみました。
 それは、次のような区切り方です。
 五十代の事はじめ―これからはじまる、後半の下山の人生を生き抜く覚悟を、心身ともに元気な時期から考えはじめる時期。
 六十代の再起動―50代で思い描いた下山を、いよいよ実行する時期。実際にこれまでの生き方、生活をリセット(再起動)する時期。
 七十代の黄金期―下山の途中で、突然あらわれる平たんな丘のような場所を充分に楽しみ、活力を補充する時期。
 八十代の自分ファースト―社会的しがらみから身を引き、自分の思いに忠実に生きる時期。
 九十代の妄想のすすめ―たとえ身体は不自由になっても、これまでに培った想像力で、時空を超えた楽しみに浸る時期。

P154
 よく、八の坂、九の坂といいますが、その年代の後半、七十代ならば、七十八歳、七十九歳。六十代だったら、六十八歳、六十九歳のころですが、これから先の新しい十年の幕開けの前の二、三年という期間は、どうも、心身ともに大きな不調を抱える方が多いようです。  私もそれを経験してきました。
 いま言ったように、昔の人は、それを八の坂、九の坂と譬(たと)えて、この時期を用心しなさいよ、と注意をうながしてみました。それとともに、この坂を越えたら、良くなるから、少し辛抱しなさいよと、励まし合ったそうです。

 

百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)

DSC_9706 (Small).JPG平山温泉 湯の蔵


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