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「子供」は道具じゃない [家族]

 彼女(現代の主婦)たちは、子供を連れて劇場やディズニーランドに行きながら、子供と一緒にそれを楽しみたかったというのではない。自分が憧れていたことや、自分が味わいたかった楽しさを実現するために、まるで必要なツールか二次的な存在のように「子供」を求めているのだ。その中心は「子供」ではなくて、やっぱり「私」ではないだろうか。

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓
岩村 暢子 (著)
新潮社 (2007/10)
P103

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P106
 このように主婦たちは、さまざまな所で「子供と一緒」に何かすることや「子供の存在」を大事そうに語るのだが、その中身をよく聞くと、見えにくいところでしばしば親の「私」中心が働いているようだ。厳しく言えば、そうとは気づかぬままに子供たちを都合のよい道具にしてしまっていることがあるのではないかと思う。
~中略~
主婦たちは場面が変わると、子供と一緒にいることや、子供の存在を急に疎ましそうに、邪魔者のように語り始めるのである。 「親子一緒」に憧れて「子供」の存在を欠かせない大事なもののように語る主婦と、子供を邪魔者のように語る主婦たちはまったく別物のように見えて、実は決してそうでない。

P117
子供たちの行動を、自分に「してくれる」「してくれない」こととして捉える親たちは、子供が「してくれない」年頃になると、どうもうまく関われなくなってくるようだ。このように、子供にいつまでも自分と一緒に仲良くしてくれることを望むのは、子供を早く一人前にして巣立たせようとしたかつての親の姿勢とは、ずいぶん違うものである。


タグ:岩村 暢子
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