日本の政治 [日本(人)]
私は古くさい左翼理論にはうんざりしているほうだが、日本の政治というのは、結局は無数の利益団体の欲望を調整するだけの機能にすぎないようである。
~中略~
日本の建設会社というものは一年も遊んでいればつぶれてしまうのにちがいなく、だから絶えず道路やダムを生産すつづけねばならない。建設会社をつぶさないためには調整権力としてはたえまなく新道路の建設を企画せねばならなのだろう。
街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P178
幕命によって京都守護職になり、京都に武装駐屯せよという。文久二年のことであり、京の勢力は日増しにあがっている時期であったから、具眼の藩士のほとんどはこれに反対し、
―いま京にゆくのは幕府の弾除けになるようなものであり、会津藩はおそらく歴史に奸名をのこして滅亡する。
と説き、秋月(住人注;昌平黌に学び、大いに名声をあげた会津藩きっての名士とされる秋月悌二郎)がその急先鋒であった。
しかし、幕命黙(もだ)しがたく藩主松平容保(かたもり)はついにそれを承(う)け、藩兵千人をひきいて京に駐屯した。幕末史に大きな存在となった京都守護職がそれである。
秋月悌二郎も京にのぼり、藩主を補佐し、その参謀になり、また藩の公用方として諸藩の士とつきあい、口下手の会津藩士のなかでは藩外交の達者として知られた。性闊達で、学者というより武人というにちかい。
P518
会津藩は文久以来京都守護職として京に武装駐屯し、鳥羽伏見にあっては先鋒として奮戦し、長州派の過激分子とさんざんに抗争し、ほとんど一手で砲火をあびた。いわば徳川家の名誉をまもるという点では、もっとも激越な忠誠藩の位置に立っている。その忠誠という点でのあまりな過激さは前将軍慶喜でさえこれをきらいはじめ、
―会津藩が江戸にいてはこまる。
と言いはじめている。そこが政治というものの奇怪さであろう。会津藩は幕府からたのまれ、いやいやながらも幕府の京における楯になり、文久以来あれほどはたらき、京や伏見でさんざんに流血の犠牲をはらってきたというのに、いまでは徳川家からも捨てられようとしている。
峠 (中巻)
司馬 遼太郎
(著)
新潮社; 改版 (2003/10)
P502
P208
少々皮肉な言い方をすれば、「角栄さん、がんばって下さい。あなたが元気で活躍すればするほど、あなたの政治生命は短くなって行くのですから・・・」と言いたいところなのだが―
というのは、今まで記してきたように、彼が金権地方政治家としてその能力を発揮すればするほど、その地方は「もう補助金などいらない」という状態に到達するからである。
簡単にいえば、それは「角栄的な御時世」すなわち「時代的枠組」が終わるということである。~中略~
新しい徴候はなかなか表面に現れないが、補助金で地方に権力を行使しようとする中央省庁の金権への反発がぼつぼつ表面化して来たことは見逃すべきでではない。もちろん「補助金など迷惑だ」などといえば、どんなしっぺ返しを食うかわからないからお利口なお役人は黙っている。だが少しずつ「ホンネ」が出て来ている。
ここで経済広報センターの「トレース」誌を少し引用させていただこう。これは「地方自治経営学会」が行ったアンケートである。
「 ~中略~
その第一項目。「いま自治体がその束縛から最も解放されたいと思っているものはなにか」に対する回答によると、第一位はなんといっても「国庫補助金による国の統制、関与、干渉」であり、全体のほぼ半数に近い、四二・三パーセントを占めたのである。つまり地方自治体は、数多くの国庫補助金にガンジガラメにしばられ、その統制支配から説き放たれたい、と告白しているのだ」
P210
たとえば「社会教育集団学習奨励金三十万円の補助金を得るためになんと百万円強、老人クラブ運営補助金二十二万七千円のために六十九万二千円を出費しているという笑えない問題がある」
P213
問題は、「補助金と許認可行政は今や中央省庁の命綱」という点、いわば「合法的金権」にある。
山路愛山が指摘した、権力行使の手段が「武権」から「金権」に移行し、「日本にて一番金の自由なる所は政府」という状態は、「軍閥」も「財閥」も解体された戦後において完成した。
かつては「武権」をもって中央が地方を支配・統制したが、今では「補助金という名の合法的金権」が地方を支配・統制している。田中角栄の「金権」は批判され糾弾された。だが、その彼とて、法的に保証された「合法的金権」がなければ、何もできなかったことは言うまでもない。
P214
「ということがわかって、ガンの特効薬に近づく方法は何か?ヒントの一つは、補助金の額や率を減らすよりも補助金項目を無くすことだろう。
二つは「補助金の本当のコストは税金である」ことを、住民に徹底して教えるPRである。マスコミの怠慢が嘆かれる」
「合法的金権」がなくなれば、「非合法的金権」もなくなる。そして納税者に与える損害は「合法的金権」の方がはるかに大きいはずである。~後略
昭和六十一年四月
あとがきに代えて
「御時世」の研究
山本 七平 (著)
文藝春秋 (1986/05)
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