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看取り難民 [医療]

1950年代までは8~9割を占めていた自宅死を病院・診療所での死亡が逆転したのは、1977年のことだ。
以来、病院死は増加を続け2000年以降は8割近辺で推移。一方の自宅死は1割強にとどまっている。(図1)
 50年代後半から始まる高度経済成長は生産拠点での労働力の確保のために両親と子どものみという核家族を必要とし、結果的に日常生活から死を遠くに追いやっていった。
 それでも70年代あたりは都市部でもかろうじて、祖父母を家で看取る文化が残っていた―脳卒中や老衰などについては。

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P132

DSC_0919 (Small).JPG両子寺

P133
80年代の終わり頃から、「家に帰りたい」という終末期がん患者の切実な願いに応じ、自宅での療養を支える病院・診療所がぽつりぽつりと出始める。がんの痛みを治療の誕生も「家に帰そう」とする医療者の背中を押した。
 再び家庭が療養・看取りの場とされ始めたのは、65歳以上人口が1割を超えた90年代初頭。迫りくる「多老・多死時代」の足音を聞きながら医療費削減と看取り場所の確保を睨んだ厚生省(当時)の策だった。
 まず92年の第二次医療法改正で「居宅」が医療提供の場として位置づけられた。~略~
次第に在宅医療は「治療手段がない」と宣言され、がん専門病院からの退去を余儀なくされた患者たちの受け皿として機能するようになっていた。
 ただ、一方で、「患者」を治すことに馴れた病院勤務医の視線は在宅医に冷淡だった。
当時からがんの看取りを実践している在宅医(仮にA氏としよう)は苦笑交じりに「変わり者、とよく言われた」という。第一、当時の医学教育のカリキュラムには在宅医療やがんの痛みを取る緩和ケアの項目などは皆無だった。
~中略~
 2006年以降、がんの終末期をいかに過ごすか、の選択肢はかなり増えた。しかし、その変化を遙かに凌駕するスピードで迫ってくる影がある。それは「がん死50万人」という試算だ。
 厚生労働省が2006年までのデータを基に算出した恐るべき予想によると、2010年に101万9000人だった総死亡者数は、わずか20年後の2030年に1・5倍の161万人に増加する。しかも、医療機関、介護施設、自宅での死亡数をのぞく「その他」、つまり、「死に場所」が定まらない「看取り難民」が、死者の3割にあたる47万人も出るというのだ。
取材・文 野瀬悠平(ライター)

 実際には、いちばん医療の手を差し伸べる必要があるのは、手術に成功して、治ってしまう「勝ち組」ではなく、こうした「負け組」の人たちなのです。
激痛に苦しみながら亡くなっていく彼らに、居場所すらありません。手術をした大病院では、もう治療法がないといわれ、市中病院に転院したあとも、長期の入院は無理(長期入院は、保険収入が減るため)と、たらい回しにされている患者さんは少なくありません。
 まさに、「がん難民」です。
(住人注;中川恵一)

自分を生ききる -日本のがん治療と死生観
中川恵一 (著), 養老孟司 (著)
小学館 (2005/8/10)
P115


P21
 お正月は家族の時間。ひとりものには「魔の時」です。家族持ちはそれぞれ家族と共に過ごします。そのお正月に三日間誰にも会わないで過ごす・・・・・・そりゃ、孤立していると考えてよいでしょう。
最近では元旦にもコンビニは開いていますが、コンビニに行っても口をきかずに買い物をすることができます。これは「人に会った」うちに入りません。この質問になんと前期高齢者の独居男性の10人に6人(61.7%)が「はい」と回答しました。女性になると26.5%と半分以下。男性の孤立度はあきらかです。
男性の孤立度はあきらかです。この割合は後期高齢者になるとかえって46.8%と低下します。推測するにその理由は、前期高齢者の独居男性に非婚・離別がじわじわ増えているからでしょう。

P27
「在宅ひとり死」([コピーライト]Chizuko Ueno)と聞いただけで、縁起でもない、という反応をするひとがいます。「おひとりさまの最後」を「おひとりさまの末路」と読みたい人もいることでしょう。誰にも看取られずに家でひとりで死ぬと、即「孤独死」と呼ばれます。
 ひとり暮らしをしている高齢者が、やがて家でひとりで死ぬのはあたりまえのこと。行路死という死に方もありますが、しだいに弱って出歩けなくなれば、そのまま家で死ぬことになります。孤独死というのは、それ以前から孤立した孤独な生を送っていたひとの話。たとえひとり暮らしでも、孤独でなければ、孤独死ではありません。だから「在宅ひとり死」なのです。
~中略~
 ひとり暮らしの高齢者は、たんに同じ家に家族が同居していない、というだけで、家族がいないわけではありませんし、友だちがいないわけでもありません。独居高齢者はそれだけで撲滅しなければならない疫病のように扱われますが、同居家族いることはそんなによいことでしょうか?
同居家族がいるばかりに周囲から家族ぐるみ孤立するケースもありますし、夫婦でいるばかりに「さし向かいの孤独」という地獄を味わうことがあります。~中略~
 それにひとり暮らしの高齢者が息を引き取る瞬間だけ、遠くに離れていた家族・親族が「全員集合」するのも、妙なもの。この看取りコンプレックス(と呼びたいと思います)も、そろそろ「卒業」してもよいのではないでしょうか。
「全員集合」できるのは、もともと家族・親族が同じ地域にかたまって暮らしていたから。遠くに離れて住んでいるなら、そうかんたんに集合することもできません。めったに会わない親族が臨終に間に合いたいと駆けつけるのは、今生のうちにお別れをいっておきたい、という気持ちから。昏睡状態になってからでは手遅れです。それならもっと早くからお訪ねして、別れも感謝も伝えておきましょう。

P59
 病院にも行けないし、施設にも入れない・・・・・このままでは介護難民、看取り難民になる、というのが前章の予測でした。
 とはいえ、世の中で起きるどんな変化も自然現象ではなく、ひとが引き起こす社会現象です。看取り難民になりかねないのは、現在の政治が病床は増やさない、施設建設は抑制する、と決めているからです。そういう意思決定をした政権を選んだのは有権者です。うらむなら政治をうらみましょう。というより、われとわが身を呪うしかありませんね。
 政府は代わって在宅誘導にシフトしました。死に場所は何も病院や施設と決ったものではありません。日本の高齢者の持ち家率はもともと高いのだから、それに日本人の大半は最近まで家で死んでいたのだから、在宅で死んでいただきましょう、というもの。 
 が、しかし。政府の在宅誘導には、「家に家族が同居していること」が前提とされています。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)








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