仏教徒は慈悲と智慧を思え [宗教]
今回のようにお寺でにお仕事で選択に迷った時、高野山に住んでいた頃あるチベット僧が話してくれたことをよく思い出す。
それは、長く難解な仏教哲学の話の後に語られたシンプルな話だった。
「今日の話は、少し難しい部分があったかもしれません。でも仏教徒として、このふたつのことは、いつも思っていてください。それは慈悲と智慧です。このふたつは、すこぶる大切です。
慈悲とはあらゆる人、命を抱えたすべての存在に愛しく親しい感情を持ち、行動すること。
智恵とは、この世界の本当の姿を知るための認識の力です。そこから”もっといい方法があるんじゃないだろうか”と、いつも考えるんです、あなたの生き方を含めて。慈悲と智慧をいつも思うのであれば、あなたは仏教徒としてスタートすることができるでしょう」
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P118
釈迦の脇侍は、文殊と普賢、知恵と慈悲を表す菩薩だそうである。われわれは前に阿弥陀の脇侍が観音・勢至であることを知った。観音は慈悲、勢至は知恵を表す菩薩であった。
仏教では、このように如来の脇侍として、知恵と慈悲を表す菩薩が選ばれているがそこに仏教の性格が自ずと示されるのである。
釈迦と阿弥陀は、性格が違っている。したがって脇侍の知恵と慈悲も又性格が違うのであろう。
現実的な知恵と慈悲を示す文殊と普賢に対して、来世的な慈悲を示す勢至と観音、この場合、釈迦の脇侍では文殊が前によばれ、阿弥陀の脇侍では、観音が先によばれ、それぞれ、他の脇侍に対して兄貴格とされているのに注意するがよい。そこに仏教における、知恵優位から慈悲優位への思想のうつりゆきがろう。
浄土教の盛んな日本では、仏教は慈悲に傾くが、本来の仏教では、慈悲より知恵が重視されるのであろう。この知の重視は、仏教の大きな特徴であろう。
ヨーロッパ文明は二つの大きな柱から出来上がっているという。いうまでもなく、ヘレニズムとヘブライズム、ギリシア文明とキリスト教である。この場合ギリシア文明はヨーロッパ人に知恵を与え、キリスト教は愛を教えた。ここにやはり、知恵と慈悲の綜合がある。~中略~
しかし、己のなかに知恵の原理をもつ仏教は、それなりに一つの完成した世界観を示すものであろう。
続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P62
そのうちもう一人、熱心な拝観者があらわれた。老婦人がほとんど身を投げ出すように文殊の前に正座し、こうべを深く垂れている。婦人は何か繰り返しつぶやいていた。つびやきは次第に大きくなり、我々の耳に届いた。
韓国訛りの日本語だった。二人の孫がどちらも幼稚園に入り、無事に夏休みを迎えている、と老婦人はささやくように言った。ありがとうごじゃいます。ありがとうごじゃいます、文殊さま。信仰とはこういうものだと心にしみてくるような、それは感謝と怖れだった。
~中略~
靴をはき終えると、みうらさんがおもむろに言い出した。
「本当の知恵って何よ?ピタゴラスの定理じゃないでしょ?詰め込み教育、よくないよ」
知恵の象徴、文殊を目の前にし、孫の無事を一心に願う老婦人を見ての発言だとわかった。
見仏記ガイドブック
みうらじゅん(著), いとうせいこう(著)
角川書店(角川グループパブリッシング) (2012/10/19)
P32
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