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平成 仏像ブーム [見仏]

P6
仏像ブームだという。確かに書店へ行くと、仏像に関するさまざまな本や雑誌が驚くほどたくさん並んでいる。実は、仏像ブームは周期的にやってくる。
前回の仏像ブームが起きたのは、昭和三十九年(一九六四)の東京オリンピックのころだった。
昭和四十年(一九六五)に出版された「仏像 心とかたち」は大ベストセラーになったが、これはNHKテレビで一年間放送された「仏像―かたちとこころ」を書物にまとめたものである。
出版にあたり、副題を「かたちとこころ」から「心とかたち」へ変更したところに、執筆者(望月信成、佐和隆研、梅原猛)の心の深化が感じられるが、梅原はいきなり次のように挑発する。
 仏像ブームは果たして健康な文化の証拠であろうか。それは結局、現代という極端に機械化され、組織化され、合理化された世界から逃避し、何となく深淵で孤独な美と宗教のムードにひたろうとする、精神の逃避ではないか。(住人注:P9)
 高度経済成長期の気分がよく感じられる文章だが、梅原はそのようなムードばかりの仏像ブームを否定し、仏像を造った日本文化、仏像を造った日本人の心を明らかにし、それが現代の日本にどのような意味を持ちうるかを考えようとする。それは仏像にこめられた心を、現代を生きる私たちの立場で、もう一度考え直してみようということだった。
 それゆえ梅原は、仏像へのそれまでのアプローチを批判する。批判を受けたのは、和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」のように、仏像を対象として叙事詩を綴る方法、そして仏像の様式論だった。
前者の主観的感動は、仏が持つ客観的な意味と食い違うことがあり、形を形としてのみ見る後者は、現代を生きる私たちにはほとんど何も語りかけない。梅原はこのように主張した。それから五十年。私たちは仏像とどのように向き合っているのだろうか。

P7
 仏像は注文制作である。注文するには必ず理由があったはず。元気いっぱい幸せいっぱいの人が仏像を造らせたりはしない。大きな悲しみや苦しみ、あるいは何か深い祈りがあって、仏像は造られる。
 四年前、東京国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」には九十四万人もの人々が訪れた。しかし、そのうち何人が阿修羅像が造られたわけを知っていただろうか。
~中略~

 このように仏像には、造らねばならなかった悲しみや切なる想いが込められているものである。東日本大震災の際に、亡くなった人々の冥福を祈って、津波で倒れた松を用いて仏像が彫られたように、仏像には造る段階で想いが込められ、造られてからも思いが込められ続ける。
苦しみ悩み悲しみながら仏像に会うと、仏像に込められた過去の同じような苦しみ悩み悲しみが、やさしく胸にしみてきて、自分はひとりじゃないと思えるようになるのかもしれない。
 日本の仏教は悟りをめざしていない。人々が仏教に求めるのは、やすらぎ(安心(あんじん))だと思う。金子みすゞは「私がさびしいときに/仏さまはさびしいの」と書いていたが、たぶんそのことが深いやすらぎを生むのだろう。

 いま、なぜ仏像ブームなのか。五十年前の高度経済成長期とは異なり、物の豊かさよりも心のやすらぎを求める人が明らかにふえている。そういう人たちが仏像を発見したのだと思う。みほとけの心とかたちが、多くの人たちに心のやすらぎを与えている。
(にしやま あつし/奈良国立博物館学芸部長)
「みほとけのかたち 仏像に会う」図録

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月夜

定期的に来るブームってありますよね。
by 月夜 (2013-09-11 03:48) 

not_so_bad_one

コメントいただきありがとうございます。
by not_so_bad_one (2013-09-11 07:29) 

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