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修養のある人の言行は一見平凡である [ものの見方、考え方]

平凡もまた同じく高いところになる平凡と、低い所になる平凡があると思う。
禅学を修めた人について見るに、なまじい坐禅をした人は、自分ばかり偉くなり、人を卑しむ風が見える。
しかし、自分ばかり偉がる風も、もいっそう進んで、いわゆる高僧智識になると、その言うことは実に平凡、その行いもまた普通の人に違ったことがない。かくのごとくその言語動作は、普通人と違う所はないが、しかしよくこれを窺(うかが)うと、声の音調が違う、目の艶が別である。
歩むにも足の踏み方が違う、茶を汲んでも、その手つきが違う。 一見、平凡としか思われなくても、その平凡には大いに高低の差異がある。ここがすなわち修養のあると、修養のない人との差ある所である。

修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P30

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