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苦労も含めて家族です [家族]

 かつて、若者の集まるコンサートやイベントの会場では「みんな、乗ってるかい!?」「盛り上がってるかい!?」、あるいは「さぁ、みんな乗っていこう!」「盛り上がっていこうぜ!」などという掛け声をよくきいたものだ。居合わせた人々が共に乗ったり盛り上がったりすることで、会場全体も高揚し、そこに一体感が生まれるからであろう。
だがいまは、コンサート会場ではなく、家の中で、親子の間でそれが求められるようになっている。なぜなら、普段の暮らしの中では親も子もバラバラになってきているからだ。

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓
岩村 暢子 (著)
新潮社 (2007/10)
P199

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P139
少し前までは、お手伝いとは子供の「やりたがる」気持などとは関係なく、家の必要に応じて「させられた」ものであったと思う。早く「1人前」にできるように教えられもしたし、言いつけられてからするのでは「気が利かない」と叱る親さえいた。 だが今は、そこに家庭の教育も躾けも親から子への伝えも見られず、一人前にできるようになることを求める人もいない。

P144
かつては、子供をひとり立ちさせていくために、親が家庭でさまざまなことを教え、伝え、身に付けさせてきた。だが現代の親は、前述のように子供へ何かを教えたり伝えたりすることは好まない(128頁参照)。
自分が子供と楽しく過ごせることを大事にするようになっている。そして、親が子供に伝えることは外部の人やメディア情報に委ね、あるいは幼稚園や学校などに外注化して家庭から排除しようともしている。

P146
 だが、子供の将来に家族の良い「思い出」や「記憶」を残す目的で、いま何かをするというのは、本当はとても奇妙なことではないだろうか。「いま」「ここ」では必ずしも楽しくないことも含めて、日常のひとつひとつを積み重ねていった結果、親子の絆もできたり、ある日振り返ったときに家族の良い「思い出」ともなっていた、というものではないのかと思う。

P192
家族が楽しく一緒にいられることは、確かに素敵なことだ。だが「いま」「ここ」の「楽しさ」を大事にして、それを阻害するようなことは、家事や子供の躾けであっても回避されることがある。
家族は仲良く一緒にいるために、「生活の苦楽」ではなく、「楽」ばかりを共にしようとし始めているのかもしれない。

P203
だがよく考えると、「家族一緒」とは、日常生活の「楽しくない」関わりを排除して、そのような「楽しい」ことに、都合のいい時だけ乗ったり下りたりして確認されるようなものだったのだろうか。
 こうして調査を通して細かく見てくると、今日メディアを騒がせている家族の問題のさまざまも、そんなに不思議なことではないような気持ちさえしてくる。
たとえば、いつも親子で楽しそうに遊んでいながら実は親が子供の悩みに気づかずにいたり、子供の喜ぶことをいろいろしてあげると見えたお母さんがあるひ突然子供を邪魔者のように放置してしまったり、あるいはやりたがる事や好きな事ばかりさせてもらってきた子供が大人になっても仕事に就かず親に「してもらい」続けていたりする。そんなことも、この調査にあるような普通の家族の、普通の日常の延長上に、ふとしたことから起こりうるような気がするのだ。
「フツウの家族の実態調査」は、それをよく示しているように思えてならない。  本当はいま、普通の家族がいちばん怖いのかもしれない、と私は思う。


タグ:岩村 暢子
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