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中宮寺菩薩半跏像(寺伝如意輪観音) [見仏]

シナやインドの独創力に比べて、日本のそれは貧弱であった。しかし己を空しゅうして模倣につとめている間にも、その独自な性格は現れぬわけに行かなかった。
もし日本の土地が、甘美な、哀愁に満ちた抒情詩的気分を特徴とするならば、同時にまたそれを日本人の貴禀(きひん)の特質と見ることもできよう。
「古事記」の伝える神話の優しさも、中宮寺観音に現れた慈愛や悲哀も、恐らくこの特質の表現であろう。
そこには常にしめやかさがあり涙がある。その涙があらゆる歓楽にたましいの陰影を与えずにはいない。 だからインドの肉感的な画も、この涙に濾過される時には、透明な美しさに変化する。

古寺巡礼
和辻 哲郎 (著)
岩波書店; 改版 (1979/3/16)
P247

DSC_7391M (Small).JPG中宮寺

P207
あの悲しく貴い半跏の観音像は、かく見れば、われわれの文化の出発点である。
「古事記」の歌もこの像よりはさほど古くはない。現在の形に書きつけられたのは百年近く後である。
~中略~
 がこれらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、我が国のやさしい自然であろう。愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然と同じく底知れぬ神秘をもったわが島国の自然は、人体の姿に現せばあの観音となるほかはない。
自然に酔う甘美なこころもちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、その根はあの観音と共通に、この国土の自然自身から出ているのである。
~中略~
母であるこの大地の特殊な美しさは、その胎より出た子孫に同じき美しさを賦与した。わが国文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。

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P92
 中宮寺の如意輪観音は、実は弥勒菩薩であろうという説を読んだことがある。 その有力な根拠として、たとえば野中寺(やちゅうじ)の同じ形式の半跏(はんか)像に「奉弥勒菩薩也」と銘記されていることが指摘されている。
また太秦(うずまさ)広隆寺の同じ形式の像も、寺の旧記には弥勒菩薩とあるそうで、中宮寺ののこ本尊ももしたがって同じ名で呼ばれはじめているようだ。
この問題は美術史家にとっては常識なのだが、私は植田寿蔵博士が「夢殿」第十七輯(しゅう)に発表された研究を面白く思っている。
菩薩像の姿態は、その菩薩の説く教(おし)えの意義を何らかの形で表そうとしていることは当然であって、弥勒の頬に指先をふれている挙措はむろんこの菩薩の願を語る。
しかし如意輪観音にもまた同じような挙措があり、博士は「第一手思惟、念(びんねん)有情故」という如意輪菩薩観門義注秘訳の一句をあげ、中宮寺の像が必ずしも弥勒と断定し難い所以(ゆえん)を述べておらるるのである。
如意輪観音本来の姿は、六臂(ろっぴ)如意というとおり腕が六本あるが、そのうち一手が軽く頬にふれていることは観心寺の像をみたとき私もはじめて知った。この頬にふれた一手の意味を、本質的なものとして含め強調したのが中宮寺の思惟像だという。

P94
 私はまた奈良帝室博物館でみた岡寺の小さな如意輪観音像を思いだした。豊かな頬と、夢みるような眉(まゆ)や唇(くちびる)をもったこのみ仏は、実に可憐で、小仏中の結紮と云わるるのも当然であろう。瞑想をとおり越して、あどけなく眠っているようにみえる。~中略~
 中宮寺の像は、その大いさにもよるが、うける感じが勁(つよ)く逞(たくま)しいのである。つまり思惟は眠れるごとくみえても、直ちにそれを実践に移しうるような頑丈な下枝(かし)によって支えられていること、逆にいえば、大地に根をおろして、その上で虚空(こくう)の果てまでも漂い行かんとする思惟、この調和が私にはすばらしく思われたのだ。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)


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