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うらやむ [言葉]

 逆境に陥った人は、他人の善を見るとただ一意にこれをうらやみ、自分は努力もせずして、その人のごとくなりたいと思うものである。「言海」を見ると、うらやむとは心病(うらやみ)で、他人のよきことを見て、そのごとくならんことを、望み思うとある。
「やむ」とあるとおり心理上の病的現象である。英語にいう「うらやむ」(Envy)の字はその語源がVisionすなわち見るというのと同意なりとある。
すなわち物を横に見るということで、偏見である。日本語のうらやむとその語原の相似ているのは面白い事実である。
 同一の出来事に逢うても、病的に見ればうらやみとなり、健全に見れば励みとなる。例えば、自分より優れた人を見て、その真似をなそうとするのは励みである。

修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P302

DSC_0048 (Small).JPG句塚

P303
人の愉快は少しも自分の損でない。むしろともに喜んで愉快を分つべきである。
しかるに、人が楽しむのを見ると、自分は損をするかのごとく思う者が多い。
もし、これが一歩を進むれば、人に幸なきを喜び、むしろ禍いにかかるのを気味が善いと思うようになるであろう。

P306
人は個人以上の大なる利害を考うる時は、人をうらやむ念は小となる。
日本の国という点を考うれば、世界の列国に対してわが国の利益を計るに専一となり、日本村という小範囲に子ぜり合いする気がなくなる。


修養 (タチバナ教養文庫)

修養 (タチバナ教養文庫)

  • 作者: 新渡戸 稲造
  • 出版社/メーカー: たちばな出版
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 新書



人の善をただ取りあがてひろむべし
         あやかる事(こと)もありやせんもし
     (無題)
~中略~
「あやかる事(こと)もありやせんもし」と歌っているところろに、ふかい意味をもつ。
寛文四年(1664)、池田光政は、領民のなかで善行をなす者を領民自身が推薦し、表彰するという制度をもうけた。
このときのひとつの逸話がのこされている。―柴木村の甚介は、孝心ふかきゆえに藩主からご褒美をあずかった。それを知った隣家の農民はうらやみ、甚介をまねて孝養をつくしたところ、召されてご褒美がくだされた。
役人がそのにせを申しあげると、藩主は「にせであっても差しつかえない。しっかりと孝行を似(に)せよ」と。

中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P166


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