不幸が人を創る [人生]
つまり世も羨むような成功に到達した人というのは、もちろん幸運もあるだろうが、私の夫だったら真平(まっぴら)というような努力を続け、犠牲を払っているのである。(住人注;ソニー会長の)森田(住人注;昭夫)氏ほどの世界的大成功でなくても、昔は皆、それなりに耐えて自分を伸ばさねばならないと知っていた。
耐えることは、人生の一部だったのである。
誰もが苦しみに耐えて、希望に到達する。努力に耐え、失敗に耐え、屈辱に耐えてこそ、目標に到達できるのだ、と教えられた。
誰も苦しみになど耐えたくない。順調に日々を送りたい。しかし人生というものは、決してそうはいかないものなのだ。さらに皮肉なことに、人生で避けたい苦しみの中にこそ、その人間を育てる要素もある。人を創るのは幸福でもあるが、不幸でもあるのだ。
しかし現代は不幸の価値を認めない。だから苦しみが必要な仕事は避け、努力が要るものは学ばなくなった。少なくとも昔に比べると、プロの比率が減り、アマばかりになった。「昔はいた」という仕事師が、皆無ではないにしても、ぐんと減ったのである。
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
P179
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苦痛を弁護して、苦痛は人間の品性を高めると言うくらい馬鹿げたことはない。
これは、キリスト教の立場から苦痛を正当化する必要があって生まれた説明に過ぎない。
苦痛は有機体が有害な環境にいるということを知らせるために神経が発する危険信号でしかない。
苦痛が人間を高めるというのが正しいとすれば、赤信号が汽車の品性を高めると言える理屈になってしまう。
大多数の場合において、苦痛が人を上品にするどころか、むしろ野蛮にするだけというのは、人間をちょっと観察すればわかるはずではなかろうか。
(「作家の手帳」一九〇一年)
行方 昭夫 (編集)
岩波書店 (2010/4/17)
P48
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いかなる所へ行っても、牢獄へ入れられても、島流しにあっても、悠然としてふだんと変わらないようになるのには、よほど自分を作らなければならない。そういう意味では、不遇・逆境というものは自己を練る最もいい場所だ。
知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P125
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