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徳の厚薄と運命の厚薄は違う [人生]

これは老荘のに並び称される[列子」の中にある話ですが、北宮子というのが西門子というのに申しました。
「わしは君に一向(いっこう)何でも劣らないのに、どういうものか君は出世して、ことごとに僕はうまく行かぬ。貧乏生活から抜け切れぬ。君のこの頃は何という羽振りのいいことだ。
たまに会いたいと思っても、容易に会えもせぬ。そして君は、何か人物が俺より偉いもののように思うておる」と、こういう不平を申したところが、西門子が、
「俺はどういうわけか、そんなことはわからぬが、君が何をしても成功しない、俺が成功するというのは、つまり俺の人物、俺の徳が優れておる証拠じゃないか。
それにもかかわらず、いかにも俺と元来同格の人間であるかのように言うのは、お前の面の皮が厚いというものだ」
 とやりこめられて、人のいい北宮子は返答ができず、ぼんやりして帰りました。

 その途中、彼は東郭先生という面白い先生に出会いました。先生は「お前一体どこへ行って来たのか。ばかにふらふらして、なさけなさそうな顔をしているじゃないか」。
北宮子は「実はかくかくの次第で・・・・」と前の一件を物語ると、先生は「よしよし、そんなことなら、俺がお前のために一つ屈辱をそそいでやろう」。それから一緒に西門子のところに出かけて、先生は彼に詰問しました。
「君は何だってひどく北宮子を辱しめたんだ。正直なところを言ってみろ」。西門子は申しました。
「それは北門子が、「家門から、人物から、何から、別段自分は劣らぬのに、なぜ自分の方は万事うまく行かず、君はうまく行くんだろう」というようなことを申しますから、「わけはわからんが、何をしてもお前が失敗して、俺が成功するのは、これ即ち徳の厚薄の証拠じゃないか。それに何でも俺に負けないように考えるのは、面の皮が厚い」と申したんです」
 そう言いますと、東郭先生が、
「とんでもない。お前の言う厚薄は運命の差異にすぎない。俺の言う厚薄はそれと違う。
北宮子は徳には厚いが、運命には薄いのだ。お前は運命に厚いが、徳には薄い。
お前の出世も実力の所得じゃない。北宮子の窮するのも本来の愚から生ずる失じゃない。皆、これは天というものだ。
人の所為(せい)ではない。それにお前は自分の運命の厚いためであることを知らずに、みずから誇って、北宮子はみずから徳に厚いのを知らないで、自分で恥じておる。どっちも真の理法のわからぬ人間だ」
 西門子は降参いたしまして、
「先生、もうやめてください。私はこれから、またとこんなつまらんことを申しませんから」

 かくして帰りました北宮子は、それから元の貧乏生活も極めて幸福に思われ、終身自得して、成功とか失敗とかいうことなどは、てんで忘れてしまいました。東郭先生これを聞いて感心しました。
「北宮子は長い間寝ておったのだ。それがかの一言によってよく醒めた。よく驚く(眠りからさめること)ことのできる人物だ」とこう申しております。

安岡正篤
   運命を開く―人間学講話
  プレジデント社 (1986/11)
   P147

宇治上神社 (5) (Small).JPG宇治上神社

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「「天道には親無し。常に善人に与(くみ)す」という。伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)のごときは、善人といってよいのだが、そうではないのか」と言う人もある。
仁を積み行いをいさぎよくしたことかくのごとくであっても餓死した。そればかりか〔孔子の門人〕七十子のともがらのうちで、仲尼(ちゅうじ)(孔子)は、ただひとり顔淵(がんえん)を学をこのむとして推賞した。しかるに「回也(顔淵の名)しばしば空(とぼ)し」といわれたように、酒や糟(かす)や糠(ぬか)にも食べあきることさえできず、とうとう夭折(わかじに)した。天が善人に対する報いとはいったいどんなことなのか。
 盗蹠(とうせき)は毎日罪のない物を殺し、人の肉を生で食い、兇悪でわがままであり、数千人の徒党をくみ、天下を横行したが、寿命をまっとうして死んだ。それは何の特をおこなったのであったか。
これらは、とりわけいちじるしく目につく例である。
~中略~
岩屋にかくれすむ士が、世に出るか出ないかは時運によって異なる。このたぐいのひとで名はうずもれはてて引きあいにも出ないのがある。悲しいことではある。村里の人は、行ないにはげみ名を立てんと欲しても、青雲の高き人にとりすがらないかぎり、後世までつたえれれることが、どうしてあり得ようか。
伯夷列伝 第一

史記列伝1
小川環樹 今鷹真 福島吉彦 訳
岩波書店 (1975/6/16)
P11


 正義感や責任感の裏には、日本のテレビや教育、その底辺に流れる勧善懲悪という甘えがある。”最後に水戸黄門や大岡越前が出てきて助けてくれる。悪い奴はやっつけられる”という信仰だ。
残念ながら、勧善懲悪などなかなか起らない。いい悪いではなく、それが人生、現実世界だ。
 悪い奴ほど出世する。どうやら真理と善悪は別である。私が知る限り、少なくとも成功する人は善悪ではなく真理を追究しているようだ。いい人生を送りたかったら、善悪の判断はできたほうがいいが、善悪、もっといえば勧善懲悪にこだわってはいけない。追求すべきは「真理」だ。一つの真理は、勧善懲悪を人生に期待してはいけないということだと思う。

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)
P4



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