SSブログ

流れを見る [ものの見方、考え方]

「病」といのは流れなんです。ずうっと流れているの。そして、流れのある時点で、今ここに患者が現れてくる。
今の時点で、これまでの流れを「どういう流れなのかなあ」と思って見る習慣をつけることによって、流れを見るセンシティビティが高まる。「こういう症状があるかな?ないかな?」と見るのとは違うの。
「病気全体がどういう流れかなあ」と、病の全体の流れが見える医者になれます。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
P017
神田橋條治 医学部講義

神田橋條治 医学部講義

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: Kindle版

 

DSC_0149 (Small).JPG宇治川

P104
禹王は用水路や排水路を掘って環境を激変させたが、まず水の自然な流れや動きを理解し、その上で変化を起こした。
 物語の要点は、なにもせず水が自然に流れるにまかせるべきだという話ではない。なにもせずに芽が自然に育つにまかせるべきでないのと同じだ。~中略~
 能動的であるとは、水の流れを強引にせき止めるという意味ではない。水は低いほうへ流れる傾向があるという事実をうまく利用して水の管理に役立てるといったことだ。
孟子も言っている。」”智者が嫌われるのは、むやみに穿鑿(せんさく)するからだ。水の流れを導いた禹(う)のようであるなら、嫌われるところはなにもないはずだ。禹が水の流れを導いたときは、むりをせず害になら何ほうへ流した”【17】
 能動的であるとは、最適な状態をつくり出し、どんなさまざまな状況が生じても反応することだ。変化が育つような土壌をつくるかとだ。~中略~
 これは、「わたしはなんだろうとなりたいものになれる」と考えるのではなく、「自分がなにになれるかは、まだ自分でもわからない」という気持でいろいろためしてみるやり方だ。
どの可能性が自分をどこへ連れていってくれるかはっきりしない。それはまだ知りようがないからだ。
けれども、自分自身について、そして自分がどんなことにわくわくするかについて発見できることは抽象的ななにかではない。実践の経験から得たとても具体的な知識だ。
時間とともに想像もしなかっった道がひらけ、それまで気づくことさえなかった選択肢が姿をあらわす。長い年月をかけて、きみは文字どおり別の人間になる。
人生のすべてがどう進展するか計画を練ることはできない。しかし、ものごとが決まった方向へ進みやすいような状況、すなわち可能性が豊かに実る状況をつくるという観点から考えることは可能だ。
※17 智に悪(にく)む所の者はそのうがつがためなり。もし智者にして禹(う)の水を行(や)るごとくならば、すなわち智に悪むことなし。禹の水を行るや、その事なき所に行るなり。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: Kindle版

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント