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人生の五計 [人生]

   第一は「生計」ということであります。生計といいますと、今の人はたいてい暮らしのこと、経済問題と考えられるでありましょうが、この場合、学問的な意味における生計はそうではありません。
文字通り生きるはかりごとであります。
我々がどうして生きるか。肉体的・生理的にどう生きていくか。こうした考えが生計ということであり、言うなれば養生法といってもよいかと思います。

安岡正篤
  運命を創る―人間学講話
  プレジデント社 (1985/12/10)
   P85

 

平等院 (11).JPG平等院

P90
 第二計は、身の計りごと、「身計」であります。これは今日の我々の社会生活に最も関係することになっております。すなわち、肉体生活に対する社会生活ですね。
たとえば、我々が社会人として、職業人として、どういうふうに自分の身を処していくかといったような問題、これなども分析解明しますと、このこと自体、大部の書物にもなる重大問題であります。

P91
 この「家計」とは、自分の家庭をいかに維持していくかということで、これも学問的にいえば、非常に複雑広範な問題であります。ただ、昨今、世界の学界・思想界に現れておる重大問題を、この家計を通じて、一端をお話申し上げますと、まず教育・学問という問題があります。明治以来久しい間、特に日本人は、人間を仕立てる、子供を仕立てる、大成させるのには学校に入れることだと考えてきた。
子供を偉くするのには学校へ入れなきゃならん。したがって教育というものの主体を学校へ置きました。ところが、この考え方は、もう今日の文明世界からは落第であります。教育は主として家庭にあるという結論に到達いたしております。

P98
 第四は「老計」といいます。老ゆる計りごと。人間はいかに年をとるかということであります。「ほっといたって年をとる」というのが馬鹿の言うことでして、そういうのは無意味です。
人間は伊達に年をとるのではありません。老年はそれだけ値打ちのあるものでなければなりません。
この老ゆる計りごと―いかに年をとるかということは、実に味のあることであるのですが、どうしたことか年をとることを悔しがる思想が昔から多い。
ところが「老計」からいいますと、年をとることは楽しい、意義のあることです。
 伊藤仁斎先生は「老去佳境に入る」―年をとって佳境に入る、という詩を作っております。これが本当であります。
人生の妙味、仕事の妙味、学問の妙味、こういうものは年をとるほどわかるのであります。

P101
 いよいよ最後になりましたが、第五計、それは「死計」であります。これは死ぬ計りごと、すなわち、いかに死ぬべきかという計りごとであります。刀折れ矢尽きて死んでしまうというのが、最も情けない死に方であります。最も立派な死に方を考えなければならない。
 さて、死計といいますものは、第一計の生計と同じで、「死計」即「生計」であります。 ただ、初めの生計といいますものは、もっぱら生理的な生計であり、一方、老計を通ってきた死計というものは、もっとも精神的な、もっと霊的な生き方です。
つまり普及不滅に生きる、永遠に生きる計りごとであり、いわゆる正とか死とかいうものを超越した死に方、生き方です。これ本当の死計であります。深遠な問題です。
 時間も限りがありますので、この辺で結論的なお話をいたしますと、要するに人生には、生計、身計、家計、老計、死計とあり、これが順ぐりに回り、また元の生計に戻る。
このようにして無限に人生、人間というものが発展していく。これ、すなわち「人生の五計」であります。

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