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精神療法 [医学]

「精神療法は心を取り扱う」と言いますが、心は脳の機能ですので、心を取り扱っているけれども、治療しようとしている目標は脳なんです。脳の治療です。
 脳は生命体ですから、自然治癒の能力があります。そうすると精神療法は結局のところ、「脳の自然治癒力ができるだけ十全に発揮されるような心のありようを作る」ということに帰結する。
それで、精神療法の定義は全部終わりです。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
P091

黄檗山万福寺 (14).JPG黄檗山万福寺

P162
 名医とヤブとの違いは、一つは見立てが合っているか、間違っているかというのもあるけれども、同じ薬を同じように使っても、よくなるお医者さんとよくならん、つまり薬の効きめ以上に何もプラスアルファされないお医者さんとがいる。名医は精神療法の勉強なんかせんでも、すばらしい精神療法家です。

P164
では精神療法はどういうことをするのか。プラセボ・エフェクトがまず心に働きかける。心に働きかけるという意味では、さっき言った「権威」は、それに「ゆだねる」ということでしょう。ゆだねる、それから安心、信頼。; 「あなたのお医者さんを信頼しなさい。信頼しないとよくなりませんよ」と言うでしょ。それで一所懸命信頼すると間違えますね。信頼するという努力によって作った信頼は、不信感を抑え込んで作った信頼ですから、無意識のところに不信感があって、意識のところに信頼感があって、ぐちゃくちゃになる。そうでなくて「湧いてきた信頼が」治療に役立ち、プラセボ・エフェクトを賦活します。
 そして「この先生に任せてみようかな」という安心が出てくるために、一つには情報の開示があります。情報開示は、みなさんは「インフォームド・コンセント」として習っていると思います。

P170
  薬も飲んでみて、おいしいかどうか自分に聞いてみる。「良薬口に苦し」というのは、あれは嘘なんだよ。ほとんどの薬は自分の身体に合っていれば飲み心地がいいんです。「飲み心地がいい」と言っても、錠剤じゃわからんけれども、噛み潰して飲んでもいい薬は、潰して飲んでみると、喉を通るときに、「ああ、効きそうな感じ」と分かるんです。ほとんど分かります。そしていらなくなると味が悪くなります。

P171
 三日間、リンゴばっかり食べてみて、「身体さん、身体さん、どう思いますか?」と聞く。それで、身体が前より疲れる感じなら、そこで「精神一到何事か成らざらん」などとせんで、「ああ、や~めた」とやめる。「三日坊主が大事だ」と患者さんに教えてあげたらいい。
 それは結局、身体という五万年前に完成しているシステム、それをいつも尊重してやっていくということが精神療法のいちばん根本であり、かつ、治療のいちばん根本だということです。

P181
「暗いあの辺の道は危ないらしいよ」というような情報を言葉で教えてもらって、そこは避けて行くとか、あるいは護身術を身につけるとかして、生命体を守ってゆく。これが学習されたものです。
 そして通常、この学習された行動パターンに関わる部分を、せまい意味で精神療法と呼んでいます。だけど少し丁寧に考えてみれば、この学習されたものは環境との間を調整するんですから、環境と生命との間のバッファーですね、衝撃緩衝ですね。環境の影響が直接、生命体に及んでいくのをできるだけ和らげて、生命体を保護するバッフアーとしての部分に関わるものが精神療法だというのが、ボクの今のところの位置づけです。

P220
 これはイヌでもそうですが、生物が困った状態になったときに、誰か自分の困っている状態を理解して付き添ってくれる人がいるということが精神療法になります。
 それは哺乳動物として生まれてきて、お腹が減ったときに、おっぱいを飲ませてくれるもう一つの大きな存在があることによって、本能として、脳の中にあらかじめセットされているか、あるいはそういう体験の中で作られたか、おそらくその両方だと思いますが、そういうことに根差している。
寄り添って同じ方向を見て、チームを作っているペアということ、それが精神療法の原点です。

P223
精神療法を少し根本的なところから考えると、非物質的治療というものの中に必ず入るだろうと思うんだ。
物質を使わない治療、レーザーとか薬物とか温度とか、そういうものを使わない治療ということになると、結局、その根本は何かと言うとケアだね、ケア。
 赤ん坊がここにいると、赤ん坊は無力ですから、ケアする環境が必要でしょう。ケアして、必要なものを供給し、悪いものを除去するケアのシステムが必要です。
それは通常は親がやるんですが、少し特殊になると保育器とか、そういうものがケアです。これが精神療法の原点であるということ。
 そのケアされた中で、生命体のホメオスタシスでもいいし、自動機能でもいいし、自然治癒力でもいい。
揺らぎながら、フィードバック機構で、ある範囲を維持する「命」という動きが行われている。これは赤ん坊でなくてもいい、アメーバでも同じです。ここから考えていくと、精神療法はいちばん分かりやすいと思います。ケアする環境。
 ケアする環境を作るわれわれの作業の中に、精神療法は全部入るの。なぜかと言うと、ここが精神療法をすることの原点だからです。

P286
 治療は全部終わって、もう何もうることがない、あとは死を待つだけだという人がホスピスに来られて、亡くなるまでに入院期間は二八日。
その余命二八日の人に医療をやれば命を縮めるだけ、あるいは苦痛を強いるだけだから、何をやるかと言うと、ここに精神療法があるわけ。
二八日という残り少ない命をどんなふうに生きていけば、その人は息を引き取るときにいくらかでも納得が増えた状態になるか。
今、精神療法はそういうことに、とても大きな力を注ぐようになっきてきているの。
~中略~
 そしてもう一つ、ホスピスの看護師さんとかお医者さんは一所懸命、人間関係を作って、少しでも楽になるようにしてあげる。でも相手は二八日すると死んでしまうわけだ。
そして、また次の人が来る。その人に献身的にしてあげると、また死んでしまう。~中略~
 そうすると、今度はそういう環境にいる職業人に対する精神療法をどうするか。外国では宗教家がほとんどそのサポーターをやっています。日本はもはや、宗教がそれだけの支える力を持たない社会になっていて、これをどう精神療法で支えるか。
 そのためには、どうしても哲学が入って来るしかない。生きるとは何か、死ぬとはどういうことなのか、会うとはどういうことか、援助とはどういうことか、ということを考える哲学が精神療法の中に入ってこざるを得ないというのが現在の精神療法が直面している大きなテーマだと思います。

P305
〔二〇一三年追想〕
 情報氾濫が脳のキャパシティを超えてしまっていることが、最近の精神現象の混乱を思わせる社会現象の因である、というのがボクの物語である。
それに依拠して、さまざまな社会現象を脳の機能の破綻とその修復の活動とが織りなす絵柄として理解している。修復活動の先端にあるのは宗教と哲学の興隆であるように思う。これもボクの物語なのだが。


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