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現場に行って感じる [ものの見方、考え方]

P35
しばしば経験してきたことだが、その場に入るだけで一瞬にして空気が変わってしまうことがある。
沖縄本島や宮古島の御嶽(うたき)とよく似た感覚が甦ってくる。
ご神体は磐座(いわくら)といっても、ただの岩ではない。崖一面に広がる巨岩である。いまでも「日本書紀」に記されたそのままの神事(お縄掛け神事)が行われているというが、たしかにもっともプリミティヴなかたちででの信仰形態がいまなお生きているように思われる。
 そして、この花の窟をめぐる「日本書紀」(紳代巻一書)の以下の記述こそが、熊野が記紀にその姿を現した最初だったのである。
  伊弉冉(イザナミ)尊、火神(軻遇突智(かぐつち)、を生む時に、灼かれて神退去(かんさ)りましぬ。故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬(はぶ)りまつる。土俗(くにひと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以て祭る。
  又、鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用(も)て、歌い舞いて祭る。
 花の窟には伊弉冉尊という謂われが残されており、ご丁寧にもそのすぐ前には軻遇突智の墓(塚)まである。
しかし、そんなことはどうでもいい。ここにはもっと違ったものが隠されている。「古事記」「日本書記」以前から、すでにここが特別な場所であったことはほぼまちがいない。

P55
 神仏習合、本地垂迹、修験道などの言葉によって物事を理解したつもりになってはいけない。
つねに観念が先にあるのではなく、まずはそこで起こった事実を見つめようとしなければならない。観念はすぐに古くなるが、事実は色あせない。人間はいつか死ぬが、何かを媒介にしてはならない。熊野をじかに見ずしては、永遠に熊野を語ることはできないのである。

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)

 

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 新書
 
 
 
 
 
 
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 熊野那智大社
 
 

 このように風土を媒介として時間的障壁が忽然として消えさり、歴史上の事件や人物の本来の意味があきらかになるもっとも鮮やかな例を、白川谷の赤尾道宗に見ることができる。
~中略~
 おそらく作家はいろいろな文献によって早くから同宗の存在を知り、なにか心に触れるものがあったのであろう。
しかしそれはまだ五百年余の歴史の距離をもったおぼろげな在りかたにすぎなかったが、この巻にあるように、一夜白川谷の旅館で、道宗が山のひしめきせまる「太古の景観のごとき」この地の人であったことを知ると、時のへだたりは一瞬にして吹きとんでしまう。
それまでまだ定着していなかった道宗の意味が、風土と人との一体化のなかでずしりと作家の胸に適応されてくる。 解説 牧 祥三

街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P284

「赤尾道宗心得21箇条」
1.後生の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事。
2.仏法よりほかに、心にふかく入る事そうろはば、あさましく存じそうろうて、すなわちひるがえすべき事。
3.引き立つるこころなく、おおようになりそうろはば、心中をひきやぶりまいるべき事。
4.仏法において、うしろぐらき料心あらば、あさましく存じそうろうて、手を引くおもいをなし、たちまちにひるがえすべきこと。
5.心にひいきをもちそうろうて、人のためにわるき事、つかまつるまじき事。
6.冥の照覧と存じそうろうて、人知りそうろはずとも、あしき事をば、ひるがえし候べき事。
7.仏法のかたをば、いかにも深く重く信仰申し、我が身をば、どこまでもへりくだり候て、たしなみもうすべき事。
8.仏法をもって、人々に用いられ候はんと思い候事は、かえすがえすあさましき事にて候、その心出来そうろはば、仏法信は、ただこのたび後生の一大事を、たすかるべきため計にてこそ候へと思候て、ひるがえし候べき事。
9.理非をたださず、あしき事の出来候はん座敷をば、のがれ候べき事。
10.これほどの浅ましき心中を、持ちたるよと、おぼしめし候はん事こそ、かえすがえすも浅ましく、悲しく、つらく存じ候。今までのことをば、ひとすじに御免をあおぐといえども、斯様なる心中なる者よと、おぼしめし候はん事、かえすがえす身 のほどのつたなさ、悲しさ、あさましく存じ候。前生も、かかるつたなき心中にてこそ、いま、斯様に候はめと申かぎりなく、浅ましく存じ候。 もしもしついに御目にかかり候ても、ここを浅ましく存じ候。あらあら冥加なや、こんにちまで、うしろぐらきをば、ひたすら御免をあおぎ候。おおせ にまかせまいり候べし。
11.もし、こん、みょうにちも、ながらえ候て、のち、法義無沙汰になり候はば、あさましやと、ひきやぶり、たしなみ候べき事。
12.心中に、驚き、しみじみとなく、候はば、ああ、あさましや、もったいなや、今生は、飢え死に、 凍え死ぬとも、このたび後生の一大事を、とげまいらせ候はん事こそ、無始広劫よりの望み、このたび満足なれと存じ候て、思いきり我が身を責めて、 たちまち驚き候べき也。それにも、驚き候はずば、これはさて、この身はさて、御罰をこうむりたるか、と存じ候て、心中をひきやぶり、御同 行にあいまいらせて、讃嘆申し候はば、せめておどろき申べき事。
13.あやまっても、随意をはたらき、ねむりふせり候て、この一大事を思いまいらせず、いたずらに暮らし候まじき事。
14.ひもがなきなどと、我が身に、理をつけ候こと、あるまじく候。うちの人々にあい候て、心に思 い候はずとも、涯分たしなみ候て、まずこの一大事は、いかが候はんと申しいだし候て、心中をおどろき、たしなみ候はん事。
15.御道場のこと、本と、心に、涯分入り候はん事。
16.我を憎み候はん人を、憎み倒し候はんように、心中をもち候まじき事。
17.ただ、願わくは、この一大事に、心を深く入れ、油断なく候へがしと、存じ候。御同行の御なおしをば、やがてしたがいもうすべき事。
18.万事、心に執着せずして、ただ願わくは、わがこころ、この一大事ばかりに、ふかく心を入れ候へがしと存計候。
19.かように申し候は、あまりわが心中、思い知れも無く、あさましく候ほどに、斯様にこころを語 らい、定め候ても、そのしるしも候へがしと思い候て、斯様にいま、申し候。幾重にも幾重にも人の御なおしには、したがいもうすべき事。
20.願わくは、御慈悲を別してかけられ、ひがめるかたへ、やらずして、おしなおしてたまはり候へがしと、おもいまいらせ候事、他のことなく候。
21.あさましのわがこころや、後生の一大事をとげべき候ならば、一命をものの数とも思わず、おおせならば、いずくの果てなりとも、そむき申まじき心中なり、また、唐、天竺へなりとも、求めたずねまいらせ候はんと思うこころにてあるもの を、これほどは、思いきりたるわが心にてあるに、おおせにしたがい、うしろぐらくなく、法義をたしなみ候はん事は、さて、やすき事にてはなきかとよ、かえすがえすわがこころ、今生は一たんなり、いまひさしくもあるべからず、かつえても死に、凍えも死ね、かえりみず、後生の一大事、 油断してくれ候な、わがこころへ、かえすがえす、いま申ところ、違わず、身を責めて、たしなみきり候べし、かえすがえす御おきて、法度 を、そむかず候て、しかも内心には、一念のたのもしさ、ありがたさを、たもち候て、外相にふかくつつしめ申して、くれ候へ、わが心へ。
道宗(蓮如上人の入滅後3年、道宗40歳ごろ)
http://tonamino.jp/shiru/post_16.html より引用

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

街道をゆく〈4〉洛北諸道ほか (1978年)

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白川郷 

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