SSブログ

日本での茶 [雑学]

 日本での茶の資料の初見は、弘仁六年(八一五)の「日本後記」で、崇福寺の大僧正永忠が嵯峨天皇に茶をたてまつったとある。
また日本に将来された茶は宮廷儀礼のなかでわずかに命脈を保ったが、まさに消滅しようとしたとき、栄西禅師によって茶の種が日本に蒔かれたとされる。
 そして明恵上人によって宇治に茶畑の開園を行ったという。ところで、、栄西は九州の今の佐賀県神埼郡東背振村にある背振山に茶を蒔いたという。この背振とは、修験活動の一拠点で、茶の伝播は修験者たちの動的行動性に負うところが大きいであろう。
 求菩提山では、永禄六年(一五六三)には京都聖護院に進物として送っている。「芳茗五十御進上尤珍重云々」とあり、「芳」とは香り高い、「茗」は茶で、珍重されたことがわかる。
 また当時の戦国大名、大内、大友、黒田、細川氏なども茶を進物として送っている。大名たちへの進物の時期が、ほとんどが年頭の新年あいさつのとき、必ず御祈祷の巻紙を一枚そえて、茶を五〇袋、または三〇袋を送っている。これをみたとき、茶が単なる珍重ということだけにとどまらず、長寿的な正月の寿をもつものであったことが分かる。したがって、まだ茶は薬呪的な要素がみうしなわれちなかったものと思われる。

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる
重松 敏美(著)
日本放送出版協会; 〔カラー版〕版 (1986/11)
P151

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

  • 作者: 重松 敏美
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1986/11
  • メディア: 単行本


DSC_4542 (Small).JPG求菩提山


タグ:重松 敏美
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント