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診断は感性でやるんだ [医学]

そして(住人注;九州帝国大学教授、久留米医科大学学長を歴任。消化器内科の権威であった、小野寺直助先生は)医療器具、検査器具、検査方法やらがあるでしょう「あれは医者の感性を確認するための道具であって、診断は感性でやるんだ」とおっしゃった。
「感性で診断して、それから検査をして、「ああ、思ったとおりだった」としなければ、医者として、技量がちっともあがっていかんじゃないか」と。

神田橋條治 医学部講義
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
P113

黄檗山万福寺 (22).JPG黄檗山万福寺

P114
 友田先生(住人注;元九州大学医学部外科学教授。消化器外科の権威であった、友田正信先生)の授業では、触って「ここにツモール(住人注;腫瘍)があります」と言うと、「では次にどうしますか?」と聞かれる
。学生が「レントゲンを撮ります」と答えると、友田先生が喜んでね、「ひょっとしたら君は島津製作所の回し者ではないか?」と言うんだ。
~中略~
 友田先生か答えてほしかったことはそうではなくて、ツモールがあるなら、表面はつるつるしているか、ざらざらしているか、でこぼこしているか、下とくっついているかというようなことなの。くっついていれば動かないし、くっついていなければ動く。動くなら、どっちの方向に動くか。それから軽く押さえても、患者が苦痛を訴えるか。触ったときに、他の組織と温度差があるかどうか。
そういうことを学生が言ってくれればマルなんです。
 今はもうそんな授業はないでしょう?すぐMRI撮るからね。

P116
「検査の手技や方法は医者の道具だ」とみなさんは思っているかもしらんけど、今や、多くのお医者さんは機械の付属品になっています。というのは、たとえが「この人は心臓が悪そうだ」と思っても、心電図の機械が故障していると何もできない。
道具がなくて何もできなければ、行動が貧しくなる。
「機械があればもっとできたのに」と言っても、機械がなければ何もできないとしたら、そのお医者さんは心電図の機械の付属品だ。

P039
 医療にはうんとあいまいな領域がたくさんあって、お天気とか、食べ物とか、周りの人と何を話したとか、本人がどう感じたとかいうような、科学にも則らない、科学で網をかけられない因子がたくさんある。
一人ひとりの人間に、医学という科学を参考にしながら、医療が行われているんです。言い換えると、医学を道具にして医療をやるということです。
 そのときに、医療従事者に「察する」力があれば、道具としての医学を間違った使い方で患者に用いることがないようにできる。
あるいは、適切な量とタイミングで医学を医療の中に導入することができます。
 たとえば「二、三日様子を見ましょう。ひょっとしたら自然に良くなるかもしれない」とかいうのは、これ全部、察することから来ているの。

 精神科では、診断の裏付けとしての検査をあまり行わない。というのも、精神科医が検査を好まないのではなく、検査をしたところで鑑別診断の役に立たないことがあまりにも多いからである。そこでおのずと、患者の主観的体験とそれにもとづく訴えが身体科以上に重視されることとなる。そしてそれは厄介なことに検証不可能なことが多く、治療者はしばしばそれを鵜呑みにするしか仕方がない。
 もちろん長期的に患者と対峙していれば、かなりの「虚偽は」見抜くことができる。しかし、精神医学の本を読むなり身近な精神科受信者の振る舞いをまねるなどして、周到に病状をつくりあげるような患者にあっては、時としてその「虚偽」を見抜くのがかなり困難なことがある。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ
熊木 徹夫 (著)
中央公論新社 (2004/05)
P71


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