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稚心(ちしん)を去る [倫理]

 稚心とは、おさな心、すなわち子供じみた心のことである。
果物や野菜が、まだ熟していないものを稚というように、物が熟して美味になる前、まだどこか水くさい味がする状態をいうのである。
どんなものでも、稚といわれる間は完成に至ることができない。
 人間でいえば、竹馬・凧・まりけりをはじめ、石投げや虫取りなどの遊びばかりに熱中し、菓子や果物など甘くておいしい食物ばかりをむさぼり、毎日なまけて安楽なことばかり追いかけ、親の目をぬすんで勉強や稽古ごとをおろそかにし、いつでも父や母によりかかって自分ではなにもせず、あるいはまた、父や兄に叱られるのを嫌って、常に母のかげに隠れ甘えるなどといったことは、すべて子供じみた水っぽい心、つまりは「稚心」から生ずるのである。
それも、幼い子供の内は強いて責めるほどのこともないが、十三四歳に成長しみずから学問に志す年齢になって、この心がほんの少しでも残っていたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物となることはできない。
~中略~
 更にまた、稚心を取除かぬ間は、武士としての気概も起らず、いつまでも、腰抜け士(さむらい)でいなければならない。そのため、わたくしはりっぱな武士の仲間入りをするために、第一番に稚心をさらねばならぬと考える。  

啓発録
  橋本 左内 (著)
  講談社 (1982/7/7)
   P22

大人には大人としての自覚をもって使うべき言葉があり、とるべき行動があるということです。
 たとえば、五〇代、六〇代の女性が「カワイイ」を連発する場面を見たことがあります。
「この電話カバー、カワイイ!」「このお花、カワイイ!」「このデザート、カワイイ!」というように、なんでもカワイイで済ませてしまう感性は、どうしたものでしょうか。
 子どもは、親の鏡といますが、確実に親の言うことを真似し、親の行動をなぞろうとします。
 つまり、親が豊かな言葉と表現力を持っていたならば、それを身近で聞いて育つ子供の感性も、現状とはかなり違うものになるのではないかと思うのです。

一流の男は「気働き」で決める
高野 登 (著)
かんき出版 (2014/4/23)
P172


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