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交流軸の都市は栄える [雑学]

「交流軸の都市は栄える」という言葉を記した宮崎市定氏は中国史の専門家である。
 交流軸のインフラがその都市の命運を握っているという。ユーラシア大陸の数千年の長い歴史と広大な地理を考えるとこの「都市」という言葉は「文明」と言い換えてもよい。

日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 (著)
PHP研究所 (2013/10/3)
P307

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

  • 作者: 竹村 公太郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/10/03
  • メディア: 文庫


P312
 794年、桓武天皇は大和川流域の奈良から淀川流域の京都へ遷都した。
 シルクロードの交流軸のコースは大和川から淀川に移った。
~中略~
 ところが、、この淀川ルートは大和川ルートと決定的に異なる特徴を持っていた。
大坂から奈良への大和川ルートは奈良で終着したが、淀川ルートは京都で終着することはなかったのだ。
京都の上流には琵琶湖が控えていた。そのため、交流軸は京都から琵琶湖へと続き、さらにその先の陸路の街道へと繋がっていったのだ。
 京都から滋賀の大津、そしてその大津から東海道や中山道という陸路の交流軸が生まれていった。~中略~
 日本の歴史はこの交流軸の上で展開していった。
~中略~
 ところが、この中世から近代にかけての1000年の間、この交流軸から外れていた土地があった。
 奈良であった。

P316
1000年もの間、奈良には他国の人々が訪れることはなく、そのため宿泊する旅館を用意することもなかった。

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

  • 作者: 竹村 公太郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/10/03
  • メディア: 文庫



 (住人注;戦後の大阪が地盤沈下を起した理由の)もう一つは、交通運輸手段の革命である。
明治の鉄道が、まず変化をもたらす。川船の意味はなくなって来た。それでも、海運の比重はまだまだ大きかった。ところが、戦後になって、まずトラックが陸運を担うことになった。大阪の持つ交通の利は、また一つはぎ取られた。
近世の大阪に繁栄をもたらした堀川がほとんど埋め立てられ、残っているものもその上が高速道路になった。そこを車がぎっしりと走っている光景は、時代の移り変わりを見せつける。
加えて、カー・フェリーが出現した。あの瀬戸内海にさえもまたぐ大橋が架かり、海底トンネルがくぐる。貨物はどんどん大阪を素通りする。
 そこへ、航空機の飛躍的な発達である。貨物さえも、多くこれに頼ることになった。内海と河川をかかえた大阪の地理的位置がものをいわなくなった。水の意味もなくなった。大阪が関西新空港に寄せる期待の大きさは、これで古代以来の夢の復活のためである。

大阪学
大谷 晃一 (著)
新潮社 (1996/12)
P114

大阪学 (新潮文庫)

大阪学 (新潮文庫)

  • 作者: 大谷 晃一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 文庫







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