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泉涌寺 [見仏]

   私はどうやら思いちがいしていたらしい。仏像彫刻が一定の形をとっているのは、それぞれの儀軌もさることながら、仏師たちにそれ以上のリアルな表現がなしえかったからではないか、と思っていたのだが、この(住人注;泉涌寺即成院の阿弥陀像を中心に、歓喜しつつ奏楽して、その来迎に従っている)二十五菩薩をみるかぎり、これは完全に間違いだった。
彼らは表現できないのではない。しなかったまでのことなのである。たまたま自在な表現を許されれば、かくもみごとな歓喜奏楽の図を作りあげてしまうのだから。

 残念なことは二十五菩薩はすべて藤原期そのままではない。かなり部分的後補もあるし、なかば、以上は全く新しい近世の作である。
近世の仏師たちは、さすがに藤原期の柔軟自在の表現をそのまま踏襲する技術はもたなかったのか、いわゆる型にはまった菩薩像に変えてしまっている。
そしてそのことが、ひときわあざやかに古像のみごとさを浮かび上がらせているのは皮肉である。
永井路子
(初出「京都御寺 泉涌寺展」朝日新聞社 昭和47年刊) 「静寂への巡礼―泉涌寺」より部分抜粋

名文で巡る京都―国宝の寺〈1〉東山
白洲 正子 白洲 正子 (著) 大庭 みな子 (著) 杉本 秀太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P236 

http://www.mitera.org/

DSC_6023M (Small).JPG泉涌寺


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