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大阪人 [日本(人)]

 一つのテーブルに、四つのシートがある喫茶店でのことだ。
 恋人なり友人同士が、その二つに座を占めたところで、空いている他の二つのイスにはたれもすわらない。ちょうど領海件のように、かれらに一種の準占有権がみとめられているようである。
 もっとも、国法や自治体の条例で保護されている権利ではないから、ずけりとすわりこむ人物があらわれた場合には、何人も撤去を要求することはできない。
ところが、大阪では、おうおう、平然とそのシートにすわりこむオッサンがあらわれる。コーヒーを注文する。
ひとりでは退屈だから、なんとなくラジオでもきくような気安さで、むかいの恋人同士の会話に身を入れてきいていたりする。 やりきれない無神経さである。
 旅行の機会の多い人なら、なんどか実見されたに相違ない。車内の空気をひとりじめにしている大阪の観光団の喧噪さだ。~中略~
 べつに国法に触れるわけでもないから構わないようなものだが、車内には他の乗客もいる。彼らの神経や感情はまるで無視されているのである。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P134

P136
 江戸の最盛期では、百万の市民のなかで五十万が武士であったといわれている。そのころの大坂では、六、七十万の人口のなかで武士といえば諸藩の特産の商いをする蔵役人をのぞけば、東西両町奉行所の与力同心がざっと二百人程度の数であった。
~中略~
 幕吏が二百人しかいなかった大坂ではまるで封建時代がなかったといっていい。
かれらは身分意識がうすい。分際をまもろうとはしない。他人をおそれるというところがない。
「文句があったら稼ぎで来い」という自尊心は江戸三百年を通じて野放図にそだち、いまなおそだちつづけている。
 封建的節度がないために、江戸時代から江戸者にきらわれ、今日でも汽車のなかや喫茶店の店内などでその封建的節度のなさなさが、他国の人のめいわくになっている。
三百年の伝統とはいえ、その社会的感覚の奇妙さは一種のバカというほかない。
 ~後略~
(昭和35年1月)

P13
 不法駐車追放の声が上がると、「駐車場がない」と言い立てる。しかし、駐車場はがらがらで、周りの道路駐車があふれている風景をよく見かける。
運悪く警察に検挙されたら、どうなるか。反則金が一万五千円、レッカー移動費が一万二千円、計二万七千円もとられる。
市内の駐車場は一回に五百円から千円もする。三ヶ月も引っかからなかったら、「罰金を取られる方が得や」というのが大阪人の思考法なのである。
不法駐車は、法律を守るかどうかの善悪ではなくて、損得の問題なのである。

P16
 東京の車は二つの道の合流点で、まず一方が行けば、次は反対側と順序良くスムースに流れる。大阪では強引に割り込むしかない。譲るという気持ちが少なく、自分が先に行かないと気がすまない。気の強い人が勝ちである。

P18
大阪と東京を比較観察した学生は「東京で信号が赤か青かで横断するが、大阪人は信号よりも、実際に車が来ているかどうかを確かめて渡る」と結論している。赤なら渡っていけないという観念よりも、目で見る現実に生きているのである。

P216
 もう一つ、右折の矢印信号の話がある。赤信号に矢印表示が付いて右折できる。その矢印が消えたあと黄信号を点滅させるように、と警察庁が全国に通達した。
ドライバーに無理な右折をさせないためである。昨九五年から警視庁はじめ各地で新方式に切り替えている。福岡県では、このため赤信号を無視して右折する車が半減した。
 ところが大阪府警で検討した結果、かえって危険であると判断した。大阪では黄色で停止しない車が東京の二倍近くあるためである。黄信号は「もう行ってはいけない」ことを表示しているのだが、大阪では「まだ行ける」と受け取るのが常識なのである。
また、黄色を入れるだけ青が短くなり、渋滞がひどくなるおそれがある。そこで、大阪府警だけは従来の方式を続けることにした。
 九五年のことだが、阪神淡路大震災のテレビ・ニュースを見ていた。震源地の北淡町長が、「さア、こんな時は冗談を言うて大笑いせなあかん」と言うている。家が全壊したおばさんがマイクの前で、「家はないけど、元気はありまっせ」と話している。傾いたビルのオーナーが、「これは自信過剰やったわ」と地震と自身をからませて洒落(しゃれ)を飛ばしている。
仮設住宅のの抽選に外れたおじさんがマイクを尽きつけられて、「地震に当たって仮設に当たらん」と口走る。非難所に見舞いに来た村山首相に、おばさんが「来るだけやったらあかんでエ」と浴びせる。こんな光景は、ほかではあまり見られないだろう。この復興は当初考えていたよりも早いだろうと、私はテレビの前で思った。

P19
 大衆食堂でよく見かける光景がある。先の人が食事が終ると、まだテーブルの上が散らかっていてもおかまいなしに、次の人一目散に席につく。自分たちで皿やコップを隅に片づけて使用後のおしぼりでテーブルの上をフキ、ウエイトレスを待ち構える。来ないと、大声で呼ぶ。
東京では入り口に列をつくり、テーブルがちゃんと片づけていないと、座らない。ウエイトレスも片づけないと客を座らせない。

P24
大阪人とは、大阪で生まれ育った人だけではない。よその人でも、大阪ではそうなってしまう。汚い場所だとごみを捨て易いのと同じである。
東京から転勤してきた友人が大阪の駅の様子を口をきわめて非難したが、三か月もすると彼も並ばなくなった。

P25
筆者が池袋の東武線のプラットホームで体験したことである。
 実に整然とした三列ができている。これだけでも感心していた。筆者はその先頭に立っている。ところが、その横へさっと三十代の女性が来て並んだのである。先頭が四人になった。
筆者は、いくら何でもひどいと思った。大阪でもそれはない。「ここは先頭ですよ」と小さい声で言った。すると、その人は「何いってんのよ、この田舎者が」というような目で私を見返し、「次の電車です」と答えた。
ここは始発駅だった。それでも、まだ私は疑っていた。少なくとも大阪では有り得ないことであった。その内に、その人の後に続く列が出来て来た。つまり、六列になってしまった。
 まず先の電車が入って来た。だが、列は少しも崩れなかった。ドアが開くと、最初からの三列が整然と乗車して行く。後から来た三列は少しも動かない。それは、息をのむばかりの見事さであった。車内から見ると、新しい三列がちゃんと並んでいる。
 東京の駅がすべてこういうわけではない。だが、全体から見て大坂の方が行儀が悪いのは明らかである。東と西は違う。東京から大阪へ来た人は、そんな大阪がひどく気に障るらしい。

P42
 筆者は朝日テレビの「どんなんかな予備校」でハイヒールら吉本興業の新人たち十人ばかりに「大阪学」を講義したことがある。
その時に分かったのは、案外に他地方から出て来た人が多いことである。しかし、彼ら彼女らはまぎれもなく大阪人である。大坂人とは必ずしも大阪生まれでなくてもいいのだ。
 そういえば、近世からの大阪商人は堺や伏見に始まり、阿波や近江から来た人たちであった。大坂人がガメツイ、ケチなどと言われるが、これはもともと近江商人の性格であった。
大阪は絶えず、新しく野趣にあふれて生き生きしたエネルギーを受け入れ補給してきたのである。

P43
これ(住人注;自分そのものを阿呆だとして笑う)は芸能の世界のことだけではない。大坂人自体が、もともとそういう人間なのである。
自分の欠陥や弱点を平気でさらけ出して、これを売り物にする。失敗談を自分から話題に乗せる。筆者もそうである。頭の毛が薄いことを自分から平気で話す。~中略~
 自分はどう見られようと、どうでもいい。相手の心をゆるめて、その自尊心を満足させる。そこで実際に相手との間がうまく行けばよい。利を手に入れればそれでよい。これは商人のやり方である。自分をさらけ出して裸になり、心の垣根を取り払って人間同士の結び付きを深める。東京式の建前ではなく、本音で相対しているような雰囲気になる。
~中略~
 自らの欠陥をさらけ失敗談をして、自分を笑い者にする。それは、本当に自信があるからである。一人の人間にはいい点も悪い点もあって、すべてを取り繕う必要のないことを熟知していることでもある。

P219  大阪人はせっかちである。いつも気忙しくて、せかせか、いらいらしている。よそから見るとやかましく騒々しい。だが、反面からいえば、活気があり、いつも元気だということになる。これは近世から大阪が競争の社会だからである。~中略~ だから信号も交通道徳も守りたがらない。
 大阪人は何か行為をするとき、善悪ではなくて損得で判断する。 ~中略~  大阪人は本音でものを言う。建前が嫌い。格好よくしようという気持ちがない。これが相手には、ずばりと心に踏み込まれる思いをさせる。
~中略~
 最後におまけとして、大阪風「人間関係の秘訣7か条」を紹介しよう。グリコ以来、大阪はおまけが好きである。大阪人気質をそのまま利用すれば、人間関係がうまく行く。
1、人見知りせず、明るく大きな声で自分から声をかける。
2、身分や地位にこだわらず、おじけずえらばらず、同じ態度で接する。
3、自分の欠陥や弱点や失敗談を平気で披露し、自らを卑下して相手の自尊心を高める。
4、格好をつけず、建前や見栄をはさまない。 5、人の話をよく聞き、喜怒哀楽を十分に表現する。迎合せずに、ときには突っ込む。
6、何にでも「はる」というインスタント敬語を付けておく。
7、相手の考えに反対の場合は必ず、「それは分かるけど」と応じ、あるいは、「ちゃう、ちゃう」と軽い調子でいなす。相手の頼みを拒否するときは、「考えときまっさ」と穏やかに断る。友好の雰囲気を壊さない。

大阪学
大谷 晃一 (著)
新潮社 (1996/12)


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