SSブログ

鉄砲伝来 [雑学]

 種子島への鉄砲伝来についての諸資料をみても、十六世紀の種子島は琉球や南中国に対する貿易基地として相当なにぎわいを見せていたことは、たしかである。
 当時、中国に対する官貿易も私貿易も、輸出品の最大の品目は日本刀であった。種子島においても日本刀はさかんに打たれていたに相違なく、また日本刀だけでなく琉球に対して鋼塊(たまはがね)の輸出も多かったかと思える。
このように考えると、室町期の種子島は、いまでも「全島からカナクソがでます」と(住人注;市立種子島博物館の)鮫島さんがいうように、島をあげて鉄と鉄の連製品をつくっていたのではないかという想像が、ほぼ鮮明な形を帯びてくる。
 有名な鉄砲伝来というのは、天文十一(一五四二)年か、それともその翌年であるかという点で確定はしていないが、いずれにしても、種子島における製鉄および鉄加工のもっとも盛大な時期に舞いこんだ事件であるといっていい。

 鉄砲は、よく知られているように、この島に漂着したポルトガル船の乗組員がもたらし、二挺を当時の島主種子島時堯(ときたか)に多額な金額でゆずった、ということになっている。
日本側の最古の記録としては、伝来後半世紀以上経った慶長十一年に種子島家で撰せられた「鉄砲記」があり、またイエズス会の宣教師ロドリゲスの「日本教会史」にも、それに関する記述がある。
~中略~
「鉄砲記」では、種子島時堯が、鍛冶数人をしてその製法を調べさせた。
 似たようなものは出来たが、ただ銃身の底をどう塞いでいいのかわからなかった。底がねじになっているのだが、当時の日本にはねじの知識がなく、この点を知るのに非常な苦心があったとされている。
 いずれにしても、鉄砲は未開の孤島にやってきたのではなく、鉄についての産業が当時の日本なりに高水準に達していた島にやってきたということが、歴史のおもしろさであるかと思える。

街道をゆく (8)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1995)
P254

DSC_0674 (Small).JPG石龕時

P256
 鉄砲は伝来後またたくまに日本全国に普及するのだが、そのころにはこの元祖よりはるかに銃身が長大になっていて、その一点においても戦国期というのがいかに苛烈な時代であったかを想像しうる。
 鉄砲の出現は、山城を無用にした。
 戦国前期というべきそれまでの時代は日本全国に無数の小豪族が山城にこもって割拠していたのだが、鉄砲の出現でそれが無用になり、大勢力に亡ぼされるか統合されるかして、ついには数ヵ国を統(す)べる大勢力を出現させ、天下統一を可能にした。
 この点、種子島家もこの運命の例外ではなかった。薩摩の小勢力にすぎなかった島津氏が鉄砲を多数用いることによって、わずかな期間に薩摩、大隅、日向の三ヶ国を統一し、大隅半島のむこうに浮かぶ種子島をも併呑してしまった。種子島家にとっては何のために二千両も出して鉄砲を買い、島の技術力をあげてねじの問題を解決したかということになるのだが、 昔も今も、このようなことは無数にあるように思える。


P75
日本で最初の鉄砲戦がおこなわれたのは長篠の戦(織田・徳川の連合軍と武田勝頼の合戦)で、これが一五七五年のことであった。すなわち、種子島の鉄砲伝来から三十二年後のことである。
 そのわずか三年後の一五七八年には、ヤソ会士の書翰(しょかん)によれば、大坂本願寺に鉄砲が八千挺もあったという。
 鉄砲だけでは戦争はできない。鉄砲を撃つ人間が要る。大坂本願寺だけで、そんな人間を一万人近くも集めることができたわけだ。このころ日本では、猫も杓子も鉄砲打ちを習ったのであろうか?
~中略~
 ところで、ポルトガル船が、はじめて中国に着いたのは、一五一四年のことであった。
場所は広東省の屯門(トウンメン)である。ポルトガル人の種子島漂着に先立つこと二十九年なのだ。
 秀吉の第一次朝鮮出兵は、文禄元年―一五九二年であった。
~中略~
 明軍の鳥銃隊は、朝鮮の役後につくられた。
 ついでにいえば、一六三五年ごろの日本の貿易品リストのなかに、銃弾一万一千六百九十六発というのがある。輸入ではなく、日本からの輸出なのだ。種子島から百年もたたぬうちに、日本は弾薬の輸出国になってしまった。

P77
 朝鮮で日本の鉄砲にさんざん悩まされて、明国ではやっと鳥銃隊をつくったものの、その育成にはまるで力をいれていないようだ。
 明の天啓(てんけい)年間というから、一六二〇年代、つまり朝鮮の役から三十年もたったころだが、満州族が東北でしきりに軍事行動をおこすので、やっと明廷はマカオ在留のポルトガル人を召して、本格的に将兵に鉄砲の技術を授けさせた。
 のんびりした話である。
 日本はどんなものでも、「役に立つ」とわかれば、それを採り入れるのに敏速であり、かつ熱心だった。
 明治以後の文明開化のスピードぶりは、けっして唐突なことでなく、「猫も杓子も」的な熱狂ぶりは、すでに先例があったのである。 

日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント