SSブログ

アジア式国家 [国際社会]

「マッサージを頼めますか」
 という意味の韓国語を暗唱していたのだが、発音がへたで通じなかった。やむなく日本語でいうと、なんとか通じた。ところが、
「値段は三千ウォンですよ」
 と、フロントは値段の数字に力を入れていったのである。円もウォンもほぼ等価だから、むろん大変な暴利である。物価の高い日本でさえ、ホテルでの一時間のマッサージ代というのは千円と幾許(いくばく)かで、さらにはフロント自身が用件を承るや否や「三千円ですよ」といきなり値段をいって切りかえすようなことはまずない。
(これはよほど事情があるにちがいない)
と、私はあることを想像して、心が躍った。


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)
P176


DSC_0610 (Small).JPG鶴林寺 (加古川市)


P178
 間髪を容れず、ドアがノックされた。私がドアをあけにゆくと、若いフロントが、釜山空港の税関吏と共通するあの独特の無表情さで入ってきた。
(マッサージ師は?)
 とおもって彼の背後を見たが、だれもいない。彼はただサキガネを取るためにのみ私の部屋のドアをノックし、私にドアをあけさせ、部屋に入ってきたのである。
フロントはサービス従業員である。どこの世界に、マッサージの先金をとるために客室に乗りこんでくるフロント係がいるだろうか。が、私は腹をたてなかった。その理由はあとで触れる。
 彼は私のてのひらから金を巻あげると、身を翻し、一礼もせずに部屋を出て行った。
朝鮮人は一般に慇懃ではない。国風の特徴であり、それ自体は決してわるくはなく、たとえばその傾向が国際会議場などで見る場合、日本人のペコペコ傾向よりもはるかに凛然としていてうらやましくなる。
それはいい。私は元来、年少のころから朝鮮人と数多くつきあってきて、朝鮮人のよさをナマの朝鮮人以上に分かっているつもりであるが、しかしこの場合は凛然という表現はあたるまい。
 別の見方が成り立つ。朝鮮民族は権力の座(私営ホテルのフロント係が権力の座かという内容については、繰りかえすようだが、あとでのべる)につくと、変に居丈高になる癖がある。~中略~
そのあたりに職責についている朝鮮人のえもいえぬユーモアがあり、これは決して悪徳ではない。癖である。
 この事件は、家内が手洗いに行っているあいだにおこり、終了した。あっという間の出来事であった。出てきた家内に、
「先金で三千ウォンとられたよ」
 というと、家内はただそれをきいてひっくりかえるほどに笑った。私の間抜けもおかしかったのだろうが、悪事というのは元来切れ味があざやかであるほどユーモラスになるようである。

P180
 要するにあの三千ウォンのうちの大部分は、三人のフロント係がいそいそと分けどりしたにちがいなく、その情景まで想像することができるのである。
 それがわがアジアというものである。
 マッサージ師は終始にこにこして愛想のいい好青年だった。すこし日本語ができた。私はかれのために酷かもしれないと思いつつ事の経緯を説明したあと、
―それで大兄の取り分だけど、500ウォン?
と、ゆっくり一語一語区切って、質問した。
「いいえ」 
 ともいわず、ただ笑っているだけのことだが、五百ウォンなど、とてももらってないことが気配でわかった。かれの態度はあきらかにフロント係を怖れている風であった。
フロント係こそかれの収入の大部分をにぎっている権力者であり、出入りの職人であるかれにとっては、おそるべき官僚なのである。
~中略~
「取り分は三百ウォンやな」
と、私は揉まれながらつぶやいた。ホテルという会社に、いわば規定上の納入金を百ウォンおさめる。かれは三百ウォン。
あとの二千六百ウォンは、フロント係が山賊式に分ける。むろん平等には分ない。
私からの電話の受話器をあげた大将が、二千ウォンはとる。他の二人は、「
「見たぞ聞いたぞ」というわけで、三百ウォンずつとる。
それが、アジア式の”官吏”というものので、中国でもむかしはこれが普通であった。
~中略~
 このホテルにおけるフロント係とマッサージ師と客の関係を国家に拡大してもかわらない。
つまりアジア型国家というものはそういうもので、近代中国では清朝がそうであった。
 李鴻章や袁世凱の政治力は偉大なものであったが、かれらはマッサージ客―外国資本―から国家の名において金をうけとり、または借款し、その何パーセントかを国家のためにつかうだけで他は自分の懐に入れた。そのことは悪ではなく、体制としての伝統であり、決して汚職ではない。

P185
帝政ロシアも、きわめてアジア的であった。
 一例をあげると、一九〇四年五月二日、ロシアのニコライ二世から神の名において日本を懲らしめるべき大艦隊(バルチック艦隊)の司令官に任命されたロジュストウェンスキー提督は、その編成と航海準備をするだけで灰神楽のたつような大さわぎを演じなければならなかった。
 任命を受けるや、かれはロシア海軍の根拠地であるクロンスタット軍港へとんでゆき、砲弾その他の資材を出ししぶる役人たちの横っ面をひっぱ叩くようないきおいで在庫品の帳簿を出させ、各倉庫の扉をひらかせ、強奪するようにして戦闘用の資材をととのえた。ロシアの官界はそこまで腐敗しており、ロジュストウェンスキーはかれらから資材を強奪せざるを得なかったのである。
~中略~
そのロ提督でさえ、その艦隊にあわれな汚職無線機を積みこまされていた。つまり優秀なマルコニ式の無線機がいつのまにか各艦からおろされ、そのかわりとしてスラヴィアルコ式無線機という粗末な機械を積みこまされていたのである。たまたま日本は独自の無線機を開発し、開戦前、長崎・台湾基隆(キールン)間の長距離通信に成功するほどの精度の高さに達していたため、日本海海戦における日本の勝利は通信戦の勝利である」とさえいわれた。

P186
 体制的汚職という変なことばをつかったが日本でも奈良朝、平安朝といった中国もしくは朝鮮風の律令体制であったころは、体制そのものが汚職であった。
「受領はころんでもただで起きない。於きあがったときは土なりともつかんでいる」
 と当時はいわれた。受領とは中央の任命で諸国へくだって行政をやる地方長官(国司)である。
受領たちは中央政府へ所定の金品をおさめると、あとは、その分国の百姓から収奪するものは取り得であった。かれらは転べば土でも懐ろに入れようととした。それは悪ではなく、正当な経済行為であり、ときには甲斐性とされた。これが儒教的中国体制というものであった。
「武士の勃興」
 という呼び方で日本史上最大の土着集団の出現が、このばかばかしい律令体制をずたずたにしてしまい。鎌倉幕府という、土着者の利益を代表する体制ができて日本史はアジア的なものから解放された。
さらにくだって、徳川期になると、西ヨーロッパの封建制よりある意味ではもっと精巧な封建制が確立され、アジア的世界とは別個な社会をつくりあげてしまった。
われわれが「大邸のフロント係」になることからまぬがれたモトは、固有名詞でいえば源頼朝から発しているのである。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント