So-net無料ブログ作成

日本人の起源 [日本(人)]

  本書ではここまで、今から七万~六万年ほど前にアフリカを出た私たちにつながるDNAの流れを追ってきました。アジアに分布する基幹のハプログループMとNはインドで大きく放散し、そこを越えたものが東南アジアと東アジアへ展開しました。
どういう歴史的経緯なのか、インドとそれより東の地域ではその後のミトコンドリアDNAの交流が観察できません。
ですからミトコンドリアDNAから私たち日本人の直接の由来を考える場合には、東南アジアと東アジアをその源郷の地域を考えればよいことになります。事実、私たちの持つミトコンドリアDNAのハプログループは大部分が東南アジアから東アジアの地域と共通のものでした。


日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造
篠田 謙一 (著) 
  日本放送出版協会 (2007/02)
P131




DSC_0660 (Small).JPG鶴林寺 (加古川市)


P135
本書ではこれまでキチンと説明せずに、本土日本人という言葉を使ってきましたが、これは自然人類学の分野では普通に使われる用語で、アイヌと沖縄の人たちを除いた主として本州、四国、九州に住む日本人を指しています。アイヌの人たちはみずからのアイデンティティとして独自の民族であることを認識していますし、沖縄も琉球王朝に代表されるように、本土の日本とは異なった歴史を持っています。
また形質人類学や、民俗学、文化人類学の研究も彼らを本土の日本人と区別するさまざまな証拠を持っています。
ですから、日本は複数の異なる集団から構成される多民族集合体であるということになります。民族という概念は、自然人類学のものではありませんし、まして民族はDNAで区別できるものではありませんから、日本の現状をDNA研究から表すのに、「多民族集団」などという言葉は使いたくないのですが、他に適当な言葉がないのでここではそのように表現することにしました。

P137
沖縄の先史時代を研究している札幌大学の高宮広士さんは、狩猟採集生活者が琉球列島のような大きさの島に永住することの困難さを指摘しています。この程度の大きさの島だと、狩猟採集によって得られる食料資源では、ヒトが永続的に子孫を増やしていくだけの量をまかなえないと考えているのです。
実は、世界中の多くの島々でも事情は同じで、農耕を持ち込むことによって、初めて定住が可能になったと言われています。
南太平洋の島々に最初に移住したのが、中国南部に起源を持つ農耕民だったということも同じ理由によるものなのです。
 港川人をはじめとする沖縄の旧石器時代人は、新天地を求めて琉球列島に到着したものの、結局は永続的に子孫を残すことができずに滅亡した人々だったのかもしれません。
貝塚時代に定住に成功した人たちも、基本的には狩猟採集民でしたが、彼らはサンゴ礁に棲息する魚介類などを食料にしていたことがわかっています。彼らは、小さな島の資源を最大限に利用することによって、定住を可能にした人々だったようです。

P139
ともあれ、現在の沖縄の人たちが持っているハプログループの種類に関しては、そのほとんどが本土日本のものに一致していることから判断して、少なくとも沖縄諸島に関しては貝塚時代以降の基本的なヒトの流れは台湾などの南方からではなく、本土の側から向かっていたと判断してよいでしょう。最初に定住に成功した貝塚時代の人たちも、そのルーツは南九州になると予想されます。

P177
この中で注目されるのは、朝鮮半島の人たちのなかにも縄文人と同じDNAを持つ人がかなりいることです。
これまで朝鮮半島と縄文人の関連について考えられることはほとんどありませんでした。それは朝鮮半島からは縄文時代に相当する時期の人骨がほとんど出土していないためで、人類学者はその関係を考える材料を持たなかったのです。
その結果これまでの人類学の理論は、弥生時代になって急に朝鮮半島との間に交流が生まれたような印象を与えるものでした。
しかしDNAの相同検索の結果を見る限り、朝鮮半島にも古い時代から縄文人と同じDNAを持つ人が住んでいたと考える方が自然です。
~中略~
 日本人の起源を考えるときは、私たちは暗黙のうちに現在の日本の国土を意識しています。朝鮮半島など周辺の地域は最初から別の歴史あると考えてしますが、この問題はそもそも国境もない時代のヒトの移動を考えているのですから、そのような偏見を取り去って考える必要があります。
DNA分析の結果を見ていると、少なくとも北部九州地方と朝鮮半島の南部は、同じ地域集団だったと考えたくなります。そうであれば、二重構造論の枠組みの中に、朝鮮半島南部まで含めた考え方が実際のヒトの動きを理解しやすくなるでしょう。私たちは自身の由来を考えるとき、「日本人の起源」に囚われずに、朝鮮半島の南部や沿海州などを含めた東アジアの東端における集団の成立を考えることが必要なのかもしれません。

P203
日本に国家が成立したのをおよそ一五〇〇年くらい前と仮定しても、それ以降に日本の人口比率を変えるほどの大量の渡来があったという事実はなさそうです。
ですからDNAに関して見れば、私たちは日本という国ができる前にその材料がそろっていたことになります。この列島に、ある程度の人数が居住し始めた縄文時代以降、国家が成立するまでの期間は、その後の歴史時代の一〇倍もの長さがあります。
私たちのDNAは、その長い時間のなかで、いろいろな地域から流入してきたのでしょう。縄文人が持つミトコンドリアDNAにも、さまざまなタイプが混在していました。
そして弥生時代における大陸からの渡来民は、縄文時代に蓄積したDNAのプールに特に大きな影響を与えました。本土日本の集団は、この渡来系弥生人と在来の人々の混血によって成立していったのです。


タグ:篠田 謙一
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント