原理主義は危険 [ものの見方、考え方]
憲法改正の問題にふれると、必ず反戦論者の矢内原(やないはら)門下から苦情が出ますから、まず一言いたします。
戦後の初代の東大教養学部長であり、次に東大総長となった矢内原忠雄の感化が強かった東大駒場キャンパスでは、敗戦直後から一九六八年までの間、内村・南原・矢内原系の、教会制度によらず聖書のみを信仰のよりどころにする無教会キリスト教の存在感は一頭地を抜いていました。
内村鑑三は日露戦争に際して非戦論を唱えた人で、矢内原忠雄は一九三七年、日本軍部の戦争政策を批判して教授の職を追われた人です。その人たちは絶対平和主義、無抵抗主義を唱えました。
しかしその派の教授・助教授が大学紛争に際して平常心をなくし、中にはゲバ棒をふるう連中を支持する学生部職員の助教授も出るに及んで―今の皆さんは喜劇的とお考えでしょうが、しかしその助教授の子息は一旦は学生闘争にのめり込んだ挙句自殺してしまったのだから悲劇的と呼ぶべきでしょう―、紛争後はその派の影響力はとみに弱くなりました。
しかし大学の新入生の中には宗教に救いを求めるタイプの若者が毎年必ずいるのです。
人間は安心してそれに頼れる価値の体系を求めます。
それがあるいはマルクシズムであったり、クリスチャニズムであったり、真理教であったりする。~中略~ そうした純粋というかナイーヴな人は、無教会キリスト教という窓口がなくなったあとの紛争後は、原理(統一教会)などの新興宗教にはまる者も次々と出ました。
彼らの中のある者はカルト集団の手先となってビラを配り、学生部長室に押しかけては大声をあげたが、そのさまはかつての全共闘の学生や民青同盟の男女とそっくりでした。その種の若者のある者はしまいにはオウムにんまで突き進んだらしい。「南原・矢内原・麻原か」という溜息が洩れました。
しかしそのことから逆にいえることは、無教会という集団で一時期声高に叫んだ絶対平和主義もまた所詮カルトの要素を含んだ宗教運動だったのではないかということです。
もちろん人間観とか神観とかは全く違うものでしょうが、あの吊り上った眼、思い上がった自己正義化、他人に耳をかさぬ態度など、現象面共通性を指摘されるとなるほどとうなずける節がないわけではありません。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P41
【浜田彦蔵】(一八三七~一八七九)―文明―
其(その)流派に辟(へき)する人に於てハ、無智無学の人よりも、国の為に大害を生することしるへし。
~中略~
はじめ彦蔵は文明国アメリカに心酔したが、南北戦争のすさまじい殺戮に衝撃をうけた。
なぜこうなるのか。<学流の相違、宗門の論より、万国にて国乱を起すこと古(いにしえ)より少なからす>といい冒頭のように述べた。
本来、人を幸せにするはずの政治や宗教への過剰なこだわりが戦争の原因になっている。彼はそれに気づいた。
日本人の叡智
磯田 道史 (著)
新潮社 (2011/04)
P102
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