武士の始まり [日本(人)]
武士というのは、もともと律令体制下の開墾百姓をさす。
八世紀の武士というのは、公家という非競争の社会に対する競争社会の産物としていきいきと生きた。
基本としてかれらは利を競う。次いで勇を競う。さらには美を競う。それが江戸期入ると単なる法制的存在になりおおせてしまうのだが、江戸期のことはさておく。
日本のながい歴史の上で武士勢力が潜在し、顕在して巨大な活力で動きつづけてきたのは、かれらが戦争屋であるからではない。輸入された律令的な社会固定主義の権力もしくはたてまえに対し、土着の私的権利を主張するという、とほうもないエネルギーを彼らは発生早々からもっていたからである。
~中略~ なにが社会のために正義かという観念は―せめて観念だけでも―日本社会には存在せず、したがって力に負けた弱い勢力への同情を「正義」の基準でやるわけにはいかない。日本にあっては、弱小勢力はそのまま不徳義でさえある。
平家の敗亡は自業自得であり、織田信長によって討滅されてゆく地方地方の弱小勢力は「彼らは競争の原理に不忠実で、だから怠けていてじだらくだからだった」とみる。
八世紀の武士というのは、公家という非競争の社会に対する競争社会の産物としていきいきと生きた。
基本としてかれらは利を競う。次いで勇を競う。さらには美を競う。それが江戸期入ると単なる法制的存在になりおおせてしまうのだが、江戸期のことはさておく。
日本のながい歴史の上で武士勢力が潜在し、顕在して巨大な活力で動きつづけてきたのは、かれらが戦争屋であるからではない。輸入された律令的な社会固定主義の権力もしくはたてまえに対し、土着の私的権利を主張するという、とほうもないエネルギーを彼らは発生早々からもっていたからである。
~中略~ なにが社会のために正義かという観念は―せめて観念だけでも―日本社会には存在せず、したがって力に負けた弱い勢力への同情を「正義」の基準でやるわけにはいかない。日本にあっては、弱小勢力はそのまま不徳義でさえある。
平家の敗亡は自業自得であり、織田信長によって討滅されてゆく地方地方の弱小勢力は「彼らは競争の原理に不忠実で、だから怠けていてじだらくだからだった」とみる。
街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P140
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