悪神をも和め祭る [日本(人)]
交戦国が戦争やその責任者について見方を異にするのは当然です。判断は一致しません。
降伏意志をすでに示した国に原爆投下を命じたアメリカ大統領こそ戦犯だと私は思いますが、米国は勝利し罪は問われません。非人道的な無差別爆撃をしながら戦死した米兵も米軍墓地に祀られているでしょう。だがたとえそうした人の名が刻まれていようと、アーリントン国立墓地への日本の首相の献花は当然だと私は信じます。
なぜか、政治と宗教は次元が違うからです。
二〇一四年は第一次世界大戦勃発の百周年ですが、英仏では軍紀違反で銃殺した自国の千名を越す兵士たちも「苛烈な戦闘におとらぬ過酷な軍紀の犠牲者」として「国民の歴史的記憶のなかに迎え入れるべきである」(ジョスパン)という処置がとられました。(「ル・モンド」二〇一三年十一月九日)。軍法会議の結果、銃殺に処せられた兵士たちを許すことに当初反対したサルコジたち政治家も後には同意したということです。
死者は区別せずにひとしく祀るのがいいのです。そのことをはっきり信条としているのが神道で、この宗教では善人も悪人も神になります。
「善神(よきかみ)にこひねぎ・・・。悪神(あしきかみ)をも和(なご)め祭」ると本居宣長は「直毘霊(なおびのみたま)」で説明しています。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P80
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